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大分の天気

カテゴリー「新市政夜話」の50件の記事

2009年9月11日 (金)

松川峰生市議、別商の思いを念頭に

0911h2  県立移管の方向が固まった市立別府商業高校(以下「別商」)の諸課題や、県教委の高校後期再編計画における別商の位置付けなどについて、10日の定例別府市議会本会議・一般質問で、松川峰生氏(自民党議員団)が市教委の考えをただした。
 藤原洋行教育次長兼教育総務課長、御手洗茂同課参事の答弁によると、別商改革検討委員会の答申を受け、昨年7月、県知事及び県教育長に別商の「県立移管要請書」を提出。さらに、県立高校後期再編計画における別府地区の青山、羽室台両校の統合再編計画について、別商を加えた3校とするよう要望したという。
 県教委と事務レベルの協議が続いているが、藤原教育次長は「別商の県立移管が成立した場合、平成27年度に青山、羽室台、別商3校を統合した新設校の開校が予定されており、別商は平成29年4月以降に県立移管される」と説明した。
 松川氏は「県立移管の是非を巡って大変な議論があった。別商は昭和32年の開校以来、52年の歴史・伝統があり、1万3000人を超える卒業生は、統合・移管について、それぞれ思いがあり、不安視する声も聞かれる。母校への思いは青山、羽室台の卒業生も同じと思う。特に、別商は平成27年度の統合のあと、29年度の県立移管までの2年間、同じ別商の敷地内に市立の生徒と県立の生徒が“混在”する形になる。その辺も十分頭に入れて、県教委との詰めの協議を進めてほしい」と要望。
 さらに、松川氏は「県立移管まで、まだ8、9年もある。移管するとはいえ、老朽化した校舎、施設設備を現状のままでいくのは、危険が多い。特に、生徒が常時使う学習棟や商業棟の耐震化、あるいは、ろ過装置がなく漏水もするプールの問題は早急に解決してもらいたい」と求めた。
 藤原教育次長は「基本的には県立移管を要望する立場だが、子どもたちにとって最も良い教育環境ができるだけ早期に整うことをまず第一に考えた条件での協議を進めている。特に、2年でも1年でも『県立別商』として受け入れていただき、その後、統合校としての新設校をスタートさせてほしいとの市長の思いを伝えている。今後も議会を含め、市民の皆様に良い報告ができるよう頑張りたい」と答えた。
 なお、末吉正明教育総務課参事の答弁によると、別商の全9棟のうち、昭和56年以前に建築された“旧耐震物”は7棟、同57年以降の“新耐震物”は2棟という。

2008年12月 5日 (金)

3人忘年会

 去る3日夜、北浜1丁目のつるみプレザン2階の割烹「照海」で3人忘年会をやったのは元大分合同新聞主筆の南里俊策さん、朝日新聞記者から朝日コンピュータースクール福岡校長を最後に辞めた柳瀬陽之助さんと小生。
 ビルの持主で「照海」のオーナーである昭和水産社長野田昭太郎さんが、柳瀬さんと鶴高の同級ということからここにしたそうだが、ご両人共元気バリバリ。大いに飲み、大いに語って来年もまた、ということでお開きとなったが、そういったあと
 「お互い生きとったらナ」
 まだまだ大丈夫のゴタル。 (安部)

2008年8月22日 (金)

大和撫子

北京五輪でバスケットボール男子の米ドリームチームの試合をまだ1試合しか見てない。
 「アメリカは勝っちょるんかのう」と聞かれたので「給料が違うわい。全員のを合わせたら、どっかの国のGNPぐらいあるぞ。勝って当たり前じゃ」
 とテレビの前で話していたら、ソフトボールは米を破って金メダル。黙々と投げる上野の姿に大和撫子の言葉を思い出した。

2008年8月 7日 (木)

新市政夜話

人の噂も75日というが
沈静化しない教育汚職事件

 ―6月14日、日本中をシンカンさせた教育汚職が発覚した日。いらい2カ月間、連日全国紙のトップを飾った。有史いらいの出来事でした。もうそろそろ終ってもいいのじゃ、と思っているのですが…。
 「人の噂も75日と昔からいわれている。2カ月だ。このくらいたつと、周囲も当時もはじめのころと違って次第に沈静化するものだ。去るモノは日々にうとし―ともいうが、時間がたつにつれて、はじめの憤りや喜びも次第に薄れて、それまで毎日、アイサツ代りに話題となったスキャンダルも、ホメ言葉も次第に色あせてくる。ニュースではなくなるからだ。それが、この教育問題は、いつになっても新しい感慨と、熱気で語りつかれてようやく今日になった。あと1週間で2カ月だが、きのうは又、県教育長の名で県下9万8千人に“ワビ状”を送ったというのだ。これが又前代未聞のことで、下は小学1年生から義務教育の全学年にわたるという贖罪の文章で受取る側の表情も複雑だった。以下読売新聞提供。
教育長が児童・生徒9万8700人に謝罪文を配布

 大分県の教員採用汚職事件を受け、同県の小矢(こや)文則教育長は6日、県内小中学校の児童・生徒約9万8700人に「皆さんやご家族の信頼を裏切ることになり、深くおわびします」とした謝罪文を配布した。

 広島原爆忌のこの日は、「平和を願う日」とする登校日。謝罪文は事件について「学校の先生であれ、悪いことをした人は、必ず罰せられなければなりません。これもまた、社会のルールです」と説明。「一刻も早く事実関係や背景を調査究明し、大分県の教育を良くすることを皆さんに約束します」とつづっている。

 大分市内の小学校長は「(採用が取り消されるかもと)疑心暗鬼の先生たちは、何と言って子どもたちに渡せばいいのか。配慮が欲しかった」と話した。

 一方、元県教委義務教育課参事・矢野哲郎被告(52)(贈賄罪で起訴)の長女が辞職した同県佐伯市内の小学校では、校長が「先生は仕事を続けると皆さんに迷惑をかけると、退職を決められました」と説明した。

  08/08/07(つづく)    

2008年8月 6日 (水)

新市政夜話

動物の本能でしかない
教育汚職の本質をさぐる

 ―さてきのうは、県教委の口利き防止要綱制定について終始しましたが、いわれてみたらこの事件、はじめ『口利きありき』から出てそのわけではないんですよね。
 「事件の発端は、巨額の商品券のヤリトリから発覚しているようだ。巨額のワイロは、採用、昇進の試験を司る部署から出ている。
 事件が拡大するにつれ、教職の世界の“身内意識”が目立ちはじめ、試験部門は県人事委に移せという声が出はじめた。枢要な部分は事務職にまかせず、専門職の教職出身だけで固めていたからだ。こんな考え方は“身内”でもなんでもない。組織よりもまず自分、親方や子分のつながりよりも、自分だけの利得計算というのは、身内ではなく、自分と、自分の家族、それだけの範囲を出ていない」
 ―なるほど、これは“身内”というカテゴリーには入りませんね。
 「要路の重職にあるものが、酒に身を持ち崩したり、色香に迷って水商売の女性に入れあげたという一時のアヤマチから出たわけではない。自分とその家族。娘、息子の利益だけを考えるのは、情でもなければ家族愛でもない。ネコでもネズミでも胎生の動物は、子を分身として扱うのは自己保存の本能で、動物的感情だ。ちかごろはやたらと幼児殺しが、尊属殺人がはやるけれど、これらはすべて戦後教育の欠陥から発しているのでは…」
 ―ところで別府の観光協会問題ですが、現在別府市議会の副議長をしている萩野元観協常務が会計処理の基本を守れ―とキビしい指摘をしていますね。
 「それはそうだろう。“いやこれは従来からの慣行で…”では、訴追されたようなもの。(以下その部分)
 少なくとも、私が決裁していた20年ほどは、歴代の会長とも、宿泊費を含めて出張旅費は規定の範囲内で処理してきました。急な陳情等の出張で、ランクが上のホテルを利用した場合でも、差額は会長が身ゼニを切るのが普通で、1泊5万円超の宿泊費をそのまま緘口協会協会から出すなんて、誰が考えても良くないことですよ」
 ―誰がみても、公的な団体の出張に、1泊5万円というのはケタはずれですね。
 「先日、荒金元市長の旅先における気配りについてふれた。安心院のサファリ進出が、別府の住民、生活環境にどんな影響を及ぼすか―を研究するためだ。市、議会、商工団体、一般から参加者を募って出かけたときのことだ。機内では池部秘書とならんで、東京―アンカレジ間をすわり詰めだった。目的地は英国だが、帰途、独仏伊と諸国を巡るのは、パックの定型だ」    
  08/08/06(つづく)

2008年8月 5日 (火)

新市政夜話

頭隠して秘所丸出し
県教委による口利き防止要綱

 ―県教委は、こんどの事件にこりて、政界ボス等の口利き防止要綱をつくったそうですね。
 「こんな要綱をつくっても、すこしも前進はないのではなかろうか。なぜかといえば、口利きをする者は、まっすぐなキマリを曲げようとして声をかけてくる。そこを考えない防止要綱。これでは、“頭をかくしてシリ丸出し”の形だ。口利きを生む権能を手の届かぬ所に移さなくては解決にならない」
 ―人事の決定権を移すということですね。
 「人事への容カイは、その職能のあるところに、やってくる。どこにその権能があるか。また直接これに携わるものは誰なのか。それを探る能力は、神秘に近い動物本能、いや甘味をカギつける昆虫的感覚だ。通報保護といって、同僚間の密告を奨励する考えもあるようだが、これこそ“ヤケドに芥子を塗るカチカチ山”みたいな発想。陰湿な教職同士の足のひっぱり競争。密告合戦の奨励みたいなものだ」
 ―なるほど、これでは基本的な防止の効き目は薄れてしまいますね。
 「県教委汚職は、永年にわたり慣習的に行われていた。しかし今回のテキハツは特定の採用、昇格にまつわる部分だけで、構造上の問題とはいえないし、特定人の収わいの範囲に限定されている。床にこぼれたパン屑は、大きな黒ネズミがいる証明だ。構造的な問題は個人のサイフではない。県教委全体の構造にある。まず県教委にウラ金はなかったか。このあたりをエグらねば、切り貼り治療であって根本対策ではない」以下は読売新聞から
 大分県の教員採用汚職事件に絡んで複数の県議や県教委OBらの口利きが発覚したことから、県教委は、職員が議員や首長OBから口利きを受けた際の対応を要綱にまとめ、4日から施行した。
 採用や昇任、転任などに関する「不当な働きかけ」があったら相手に撤回を促し、従わなかった場合は名前と役職名、内容などを記録、県情報公開条例に基づく公開請求の対象にする。
 指導主事や社会教育主事の選考を含む人事全般のほか、入試、売買・賃借・請け負いなどの契約に関する業務も対象。相手が撤回に応じない場合、職員は記録票を作って所属長に提出。教育長はその内容を教育委員会に報告し、ホームページなどで公表する。
 県も、ほぼ同内容の取り扱い要綱をまとめ、同日施行。
  08/08/05(つづく)

2008年8月 4日 (月)

新市政夜話

観光第1主義に殉じる
影を深くした社団の創立以後

 ―ところで県教委汚職は大詰めとなったが昨日付、朝日新聞によると、矢野被告は、異動の時季には、あっせん方をつまり御用聞きを買って出て動きまわっていたということですね。
 「金品を受取って、採用や昇任に手心を加えただけでも空おそろしい不正疑惑というのに、わいろのあっせん方を勧誘して歩いた、というのだからとんだ拡売作戦だね。まるで企業の営業活動だ。
 時節柄、各地の友人から暑中見舞のハガキがくるが、いい合わせたように大分県教委の汚職にふれている。疑惑と汚職の真ッ只中にいる大分県人としては、共通の戸惑いだろうけど、この影響が県内の若者の心理にどんな暗影を残すか最も気になるところだね」
 ―このトラウマ(心理性外傷)は、容易なことでは完治しないでしょうからね。
 「ちかごろ原油高、不況、政治不信と悪条件がつづいた。いま別府ではこれに上乗せして、観光協会のデタラメ経理に発する疑惑が深まっている。人間社会に派閥的対立はつきものだ。しかし今回のふん糾は、この対立だけではなく、主導権プラス不明朗支出がその背景にあるようだ」
 ―対立抗争プラス金銭問題というわけですね。
 「本来観光協会は50年前に、行政補完の目的でつくられた。歴代の会長は、全力をあげて観光別府の人気を高めることにつとめた。初代会長岡本忠夫をはじめ、歴代会長はもてる限りの力を尽くして、観光別府の大カンバンを、発展させ、声価あるものにしようと、汗水たらして働いてきた。貧しい財源をヤリクリして、観光行政に協力してきた。
 タクシー業のみなと岩崎は、別府市主導の山本寛斎デザインのアロハを山のようにかかえて、苦心サンタンして販売し、疲労コンバイしてたおれ遂にかえらぬ人となったくらいだ。これは教育第1主義を掲げた脇鉄一に対して、観光第1、つまり誘客、ひいては別府市経済の浮揚を目標に、荒金は一致協力前進を目指して呼び掛けをしたからだ。」
 ―ヘーエ。岩崎さんは名誉の戦死ということですな。
 「しかし今回指摘されたような、観光協会の不祥事件は、かつてなかった。事務方も、別府市部局と密接な連けいプレーで、終始してきたのに、社団化してから急激に、運営の透明性が欠けてきた」

  08/08/04(つづく)

2008年8月 2日 (土)

新市政夜話

主権者は市民納税者
呆れた観光協会のデタラメ会計

 ―きのうは、梅野さんの選任阻止は、デタラメ会計の“臭いものにフタ”式の陰謀ではないかというお話でしたね…。
 「現職の権力者には必ず蜜にタカるアリのように、甘言でスリ寄ってくる者がいる。トップの風向きを見てはじめはいかにも忠実そうにやってくる。ところがしばらくたつと、本性をあらわして、自分はこれだけ忠節をつくしたのだから、その見返りは当然だ―式に態度をかえて反対給付を求めてくる。求めが通らねば“そんなら、これまでの実情をブチまける”と開きなおるものだ」
 ―ヘーエそんな手口があるのですか。
 「政治活動をするもの、権力の座にいるものは、大なり小なり他聞をはばかる類いの内情、組織の弱点をもっているものだ。この種の業師は、トップにスリ寄るばかりでなく、ナンバー2、補佐役、事務局長くらいまで取り込んで、いよいよというときになってあわて出す。
 こうなると様相はホネがらみとなり、大事にいたるものだ」
 ―ヘーエおそろしいものですね。
 「観光協会の場合は、協会と、まつり実行委の役員たちが、大盤ふるまいをしていたのだろう。だから、時間がたつにつれて次第に乱脈の傷口は深く広がっていったというわけだ。花火ファンタジア(冬の祭典実行委)は契約書なしの支出4件二千六百万について、信じられぬやりとりがあったと今日新聞は次のように伝えている。

 同日夕(観光経済委員会開催の日)、観光協会の事務局長が観光まちづくり課を訪れ、両年度各4件のうち、各2件の契約書が「ロッカーの奥から見つかった」と口頭で伝えてきた。“現物”は持参しなかったという。「あった」とするのは、1112万5000円と950万円の取引分。クリスマスHANABIファンタジア(べっぷ冬の祭典実行委員会)において、高額(100万円超)な取引にもかかわらず契約書を交わしていなかった具体例として、「157万円」「950万円」「1112万5000円」「388万5000円」の4件を挙げた。平成18、19年度とも同じ相手、同じ金額だったというから、2カ年で8件となる。」


  08/8/2(つづく)

2008年8月 1日 (金)

新市政夜話

梅野就任妨害の陰謀
乱脈会計のクサいものにフタ作戦

 ―さてエンエンとつづいた県教委汚職、発端の6月14日いらい6週間を超えました。そこでお話の途中だった観光協会問題からタクシー業界など、別府らしい夜話路線にもどりたいと思うのですが…。
 「きのう取上げた社団、別府市観光協会人事のもつれをふり返ってみよう。直接のキッカケは、観光協会の会長人事、まつり協会の紛糾が起りだった。後任と目された、はとグループ梅野朋子の選出に待ったがかかったからだ。梅野は、前会頭高松時代から台風の目となっていた」
 ―公開の席で、人事がウンヌンされるというのは珍しいですね。
 「梅野は昭和35年東タクシー社長に就任していらい48年間にわたって交通業界一本で歩んできた。この間、赤十字、陸運局、国交省、別府署、別府市などの表彰を受けること14回、2年前には紺綬褒章を授けられている。また近年は会議所副会頭に選ばれたばかりでなく、20年間にわたり観光協会副会長をつとめているという赫々たる経歴の主だ。
 創業のはじめから、市助役出身の観タクの岩屋、旧陸士岩崎の新鋭古豪に割って入り、別府の交通戦国時代を生き抜いてきたヤリ手でもある。私はかつて団体旅行で旅をしたとき、彼女は空港でイスラム教徒に遭遇した。空港の長い廊下の片すみで、メッカを向いて跪く祈りに関心を抱いて熱心に見入った梅野は何を学んだろうか。異文化を学ぼうとする柔軟さ、人間を理解しようとする努力が、社内の結束、内柔外剛、強敵にビクともせぬ闘志を育んだに違いない」
 ―昔から女だてらとか、男まさりという言葉がある。近年は差別撤廃で、職業の呼び方も大いに変りました。白衣の天使を『看護師』と呼べというのもそうですが、梅野会長人事の真相もこのあたりにあったのですか。
 「それが違うんだね。単なる性差別や、人身攻撃のための難航ではなかったことが、今回の市議会観光経済員会で判明した。
 1件千万円を超える大型支出が、契約の手続きもなく行われたり、領収や見積書など、日付、内容なしのデタラメ事務が白昼堂々行われていたことが今回ハッキリした。ハッキリしたのは、このデタラメ会計のことだけではない。梅野就任に待ったをかけたその原因が、前任者、あるいは周辺のいいなりになるもの以外の、選任を妨げようとした陰謀があったということだ。つまり梅野妨害は、この乱脈、クサイものにフタをしたかった前任者、あるいは、その周辺の不正利得者連中が計画した必死の防衛手段だったのだ。この“策謀”こそが、別府を蝕むガンなのだ」
 08/8/1 (つづく)

2008年7月30日 (水)

新市政夜話

学童の安全は至上命令
出来上がったら苦情が続出

 ―公安委員会は、市役所で開かれていたのですか。
 「脇市長の頃、市長応接室は新聞記者のサロンの観があった。常連は韓国ソウルから一緒に引き揚げた久保田老。この人は洋服仕立てのベテランで、脇さんの洋服は、すべてこの人が仕立てた。仕立てだけでなく、引揚者の市長が東京出張のときは、老人の服をそのまま借り着して出かけるという質朴さだった。
 このころの委員会は、旧市役所の市長室のベランダ(旧庁舎2階東北角にあった)に接するあたりで定例会が開かれていた。どういうわけかこの日記者は、その会議の場に入って傍聴していたら、別府署の交通課長が持ち出したのが、この規制案を書きこんだ道路図だった。赤線の規制をベッタリ明記した一覧の市街図だった」
 ―世紀の場面に遭遇したわけですね。
 「公安委は北側窓に接したテーブルを委員がとりかこんでいて、上席には畑委員長。その横には脇鉄一市長がすわっていた。警察側の説明が終ると、なにしろ学童保護という大義名分である。ちかごろと違って、むかしは親殺しや祖父を金属バットで追い廻したりする犯罪はほとんどない時代だった。また保護者の方も、孫子を可愛がって、“マゴビッテエ”はいても、子供の虐待など想像もできない風潮であるから、アッという間に原案は通過してしまった。畑義雄別府市公安委員長の名前の下に決定した、世紀の交通規制案だった」
 ―これほどの大計画がエラい簡単にデキ上ったものですね。
 「その後の会合で、交通規制を実行してみたら、商店街からエラい苦情が出てきた。特に楠、一方通行の中浜筋などは“不自由きわまる。ドモならん”と苦情がたえないので、なんとかならぬか―と発言があったが、いま改正すれば、それこそ“朝令暮改”というもので、公安委員制度全体の真価を問われる。
 しばらく様子をみて、ギリギリのところで手当てすることが最上の途ではなかろうか―と畑委員長が採決した。
 ところが、まもなく法令の改正で公安委と自治体警察の組織がなくなり、国家地方警察一本になり、別府署もその一環に取り込まれ、当の畑委員長も大分県公安委員長に就任して現状に到ったというイキサツがあった」

     (つづく)

2008年7月29日 (火)

新市政夜話

自治体警察の落とし子
目と鼻でもグルーッと回り道

 ―富士見町の元旦大綱引きは、数少ない正月行事であり、富士見町を南北に分けて、両方の住民代表が全力をつくし、とくに中心部の太さは4斗樽ほどもあり、町内のリーダーがここに跨って掛け声をかけるという勇壮なイベントでした。
 「これを始めた首藤さんは、PTAでも町内会でも非常に熱心で骨身おしまずボランティア活動をしていて、境川の保存美化のためには献身的にはたらいた。この綱引きも、私財を投じてつくりあげたがなにしろ、1年をたった1日つかうだけの100メートル近い大道具の格納のために倉庫を1棟使っているという篤行の人だ。長年不便をかこってきたが、野口校の北校合併を機になんとかして規制緩和に持ち込まれないかといっている」
 ―地域起しに熱心な方のようですね。
 「また小西さんは長年商工会議所議員として活躍、友永会頭のときに筆頭副会頭までつとめた経済人。出身は大分市横瀬だが、なぜかここから別府市で活躍した人は数おおい。かつて駅前本町、行合町と旧国道の三又路で創業したので、旧知をたずねようと思っても車両南進禁止の規制のために思うにまかせぬ。野口小移転を機に駅前―富士見間だけでも制限緩和をはたらきかけて欲しい、そう願いたいといっている」
 ―その気持ちは痛いほど判りますね。
 「南進ができないと、山側の人たちは、富士見通りか、田の湯ガードを経て日豊線を越えねばならぬ。歩けばすむことだが、ちょいと手荷物があったら、急用のときはタクシーを使って駅前通りに出ねばならぬから足の弱い高齢者や、婦女子にとっては大変な負担になるわけだ」
 ―野口小児童の安全という至上命令でできた交通規制だから、この主因がなくなれば、当然のように規制緩和を求める声が出るのは当然ですね。
 「加えて弥生、銀座、楠の三大アーケード街は、桜町(旧市役所跡)から流川が一方通行、駅前―富士見間の海門寺通り、同じく銀座角から北進の両道路が一方通行となっているのが現状だ」
 ―これほど大がかりな規制は観光地としては数少ないのではないでしょうか。
 「昭和23年に公安委員会制度ができたとき、人口5千以上の市町村に自治体警察ができ、別府では初代公安委員長に畑病院の先々代、畑義雄院長、委員に新紙屋の藤沢徳太郎前会頭が就任した」  (つづく)

2008年7月28日 (月)

新市政夜話

出でよ若きヒーロー
国際銀座や旧国道の規制緩和

 ―さて先週は、大詰めを迎えた教育人事問題に終始しましたが、これを除くと別府のいま最大の関心は、やはり観光協会問題でしょう。別府初の女性会長出現に待ったがかかり、争訟に持込まれたままになっていますが…
 「観光協会人事は、その根底で社団化した同協会の経理に対して、別府市議会が強い懸念を示していまその調べが進んでいる。もう少し時間がたたねば結末はハッキリしないが、沈滞しつつある別府の活性化はどうすればよいか。一方では非常に熱い議論が夜昼ついで行われ、水面下の活動が続いている」
 ―そういえば、もと銀座銀天、いまソルパセオの改革も急ピッチのようですね
 「ソルパセオは、駅前通りにつながる別府の主要な商店街だったが、別府港の観光港移転と同時に南北をつなぐかってのニギワイが薄れて、次々にシャッターをおろす店舗がふえてきた。これに{夢よいま一度}と掛け声をかけて立上った同町は、戦前の昭和文化を中心に同辺もまきこんだ復古調でまとめる計画もあったが、近頃は全人口の4㌫をしめる外国籍の若者文化を取込んだ、国際色豊かな食文化を、中核とした振興策をとり上げて着々と進んでいる」
 ―そういえば、流川からの入口から中心部にかけての改装、工事が目立ってきましたね。
 「変化の息吹はここだけではない。別府全市を南北に貫く流川から西法寺前を通り駅前、元近鉄跡から民衆駅ガードを経て野口小前を通って富士見通りに抜ける旧国道の一方通行を緩和してほしいという声が次第に強まっている」
 ―別府の交通規制は、永い年月続いていますがそんな動きもあるのですか。
 「旧国道の北進一方通行は、そのころ野口小学校生徒の通学道路の安全確保が最大の課題だった。しかしこれが、北小との合併となった現在、この安全対策は主目標を失ったといわざるを得ない。声をあげたのは、富士見町の首藤和昭首藤重機社長や、石垣東6丁目の田吹医科器械小西正人会長らだ」
 ―どちらも市民に広く親しまれた方たちですね。
 「首藤さんは、元旦の綱引大会を創設して、長年月街の元気を引き出してきた。つい先年は、共同通信年鑑の正月元旦を飾るイベントとして登録されたが、地元民の高齢化や、人口減の影響で、別府名物の一つが消えた」
      (つづく)

2008年7月26日 (土)

新市政夜話

少年老い易くの咸宜園
韓国を驚かせた日本の文化

 ―戦前の小学生は全員がこの勅語を暗誦していたそうですね。
 「幕末には吉田松陰の松下村塾が、零細な規模にかかわらず日本全体の政体を覆えす教育をしており、体制側には今の東大モドキの昌平校があり、全国の俊秀をあつめたものだ」
 ーその点はよく聞いています
 「地方には、本県でも有名な広瀬淡窓の咸宜園は「少年老いやすく」の漢詩で全国にフアンを生み、このほか豊後聖人と呼ばれた三浦梅園のような学者がいて、寺子屋から寄宿学校みたいな寮制度まで整えたところもあり、しかも一般町民の識字率は第一回朝鮮通信使の韓国人を通じて初代国王檀君を驚倒させるくらいであった」
 ―それほど高い文化を誇ったわが国が、どうしてこんなテイタラクに落ち込んだのでしょう。残念ですね。
 「県教委事件は、現職審議監の家宅捜査まで発展したが、これで容疑が固まるにせよ、しないにせよ、現職ナンバー2まで波及したという点で当局の努力に大向うは拍手を送ってる」
 ーそれにしてもガンばったものですね
 「刑事訴訟法の原則は“疑わしきは罰せず”が大前提だが、これまでの捜査過程から一般市民大衆の間には、疑わしいモノはどんどんしょっぴいて全容を明らかにしてほしいという声が高い」
 ―そりゃ当然の人情でしょうね。昇進めあてに汚れ役をやったとか、犯跡をゴマかすために、及落に関係しない不特定多数の採点までを大量に操作したなどは行政組織そのものの存在を危うくし社会の敵も過言ではないでしょう。
 「これも幾度かいったように、そもそも刑法の精神は一罰百戒といって、犯罪者を捕えてキビしく処断し他を戒しめるのが狙いだ。その刑罰は被告本人の悔悟の情(自戒)、一般社会への影響(他戒)の強弱、被害者の宥怒(こらえられる限度)を考えてきめられる」
 ―むずかしいですね。
 「被害者といっても、この場合は、採点の切下げによって不当に選から漏れた当人以外に、制度そのものに対する批判の噴出など、公益に類する部分もあるから容易ではない」
 ―さればといって、法律には処罰の限度があるワケでしょう。
 「そうなんだ。私たちは法律の前ではすべて同一の権利しかない。いや一定の権利を保障されているというべきか一定の定めがある。」   (つづく)

2008年7月25日 (金)

新市政夜話

大分県警2課は大金星
底に戦後の改革が見えかくれ

―連日全国紙の1面記事を賑わしている本県教育界の不祥事はかつて例をみない影響を及ぼしていますね。
 「今回の教委汚職捜査は大分県警捜査2課の大金星だ。金星とは、大角力で横綱を倒した力士を称える言葉だが、半世紀にわたる疑惑の中にあった本県教育界に与えたショック、ひいては全国に波及した社会的影響、通常の汚職なら金融にしろ、他産業にしろ、これくらいの規模の事件だと、4、5人は自殺、逃走者が出るくらいのものだが、今回の場合はナンバー2の容疑者は病気引きこもり中と称して、任意の捜査を受けているだけというのだから、まるきり罪の意識、社会性がいかに浅薄だったかいわれても仕方がない」
 ―なるほど、そういえば社会的影響の割に、ケロリとしているようですね。
 「しかしここで考えてみなければならないいくつかの問題がある。そもそも現在の教育制度の組織というのは、戦後新憲法によって生れた教育基本法、23年から創設された教育委員会制度が根底にある」
 ―その点は先日もふれましたね。
 「重ねていうようだが、これらの新法導入の基礎には、ネオナチュラリズム、純国粋、軍国主義を生みだした戦前の教育制度を全廃して、欧米式の開かれた、民主々義教育に改めるべきだという点にあった。しかも全国いっせい一教科書では、いつ偏向が生じるか分からない。地方分権を進めて、地方の声を庶民の意思を、教育組織に反映させるためには、市町村教育制度が必要だとする戦後教育の骨子が生れた」
 ―そういわれると、この抜本改正が底流となっているようですね。
 「地方の、市町村民の声を反映した教育教科、これが教育人事にいつのまにかスリ変ったんだね。昇任人事や、採用試験にクチバシを入れるのが、いまハヤリの民主主義というもんだ―と次第に変質してきたといえないだろうか。
 先日もふれたが、明治5年、明治天皇は、『村に不学の戸なし』つまり、文字の読めない国民の家をなくしてしまう。国民みんなを文字が読める水準にする目的で、義務教育制度を布いた。
 この精神は、終戦の年の8月15日まで続いていた。父母に孝に、兄弟に友に、朋友相信じあう平和社会こそが我が国歴代の皇祖皇宗が建国の根本としたのだと教えさとした」
 ―戦前の小学生は全員がこの勅語を暗誦していたそうですね。
    (つづく)

2008年7月23日 (水)

新市政夜話

口利き処罰範囲と規定
顔役ご用心あっせん贈収賄

―教育汚職は、本人の贈収賄に、そして口利きが、俄然焦点になりましたね。
韓国ではノムヒョン政権末期の昨年、銀行人事の口利きをめぐって、大騒ぎとなったことがある。人生、人知をさしはさむ余地のない偶然の連続でよいのだろうか。そういう声もある半面に採用人事の口利きは、当人の心得ひとつで関係者がイモつる式に、事件にまきこまれることがある。これはその権限のない者があっせん(口利き)をすることを規制した法文だ。
 ☆あっせん収賄
 (しゅうわい)罪☆
 請託(せいたく=公務員に対して一定の職務行為を行うことを依頼すること。依頼)を受けて他の公務員に職務上の不正行為を働きかけて賄賂(わいろ)を受け取ることを禁じた刑法上の犯罪が、あっせん収賄罪で、48年の昭和電工事件で収賄罪に問われた芦田均元首相が、職務権限の問題で有罪にならなかったのを受け、58年の刑法改正で設けられた。その特徴は、公務員本人に職務権限がない場合でも、請託を受け、ほかの公務員に職務上不正な行為をさせることなどの報酬として、賄賂を受け取った場合に成立するところにあり、法定刑は5年以下の懲役であるーとなている。
 ―なるほど取権と請托にポイントがあるわけですね。
 「たとえワイロをもらっても、自分にはその請托にこたえる権限がない―と犯罪を否認するものがある。そこで、この点を補強されるためにつくられた法律がある。これがこの利得法だ。

2008年7月22日 (火)

新市政夜話

ナンバー2連座の意味
悪徳にまるで不感症の連中

 ―ところで、平成の大疑獄、大分県教委の人事汚職はついに、ナンバー2の現職審議監に波及しましたね。
 「6月14日、佐伯市内の小学校々長が、我が子の教員採用試験に際して、県教委の人事権を握る行政組織の一人に金品を贈った―とする事件の発生は、連日のように全国新聞の一面にデカデカと報道された。やがて現職参事から前審議監そして、ようやく現職審議監へと拡大して行きつくところまで行きついた感じだね」
 ―この間、いろんな制度の問題、過去の事例がこれでもか、これでもかとばかりに表面化して県民を驚かせました。
 容疑は、職務権限を持つ役職者が、贈賄側の要求に応じて金品を受取り、その代わりに便宜をはかったというのが大筋ですね。
 「それにしても、この種のヤリトリが、金品を伴わない口利き、推せんへと拡がり、ひいては合否の事前通告までが表沙汰となり、では金品受領を伴わない口利き、推せんはどの程度行われていたかと調査したら、日本全国47都道府県のうち30県で、慣行として行われてきたというのだから開いた口がふさがらんワケだ」
 ―これほど教育人事には悪い前例が長年月にわたって続いていたのですが、どう思われますか。
 「町村官房長官も、これを機会に出すべきウミをすべて出しきって、二度と金輪際、同様不祥事が起きない対策を講じるよう明言をした。しかしこれで完全解決だろうか、私は疑問が残るのだが…」
 ―あくまでも、徹底して捜査を進めれば県教委は機能が止まってしまうのではないか―と心配ですね。
 「事件の発端は、佐伯市内の校長の子供が、県教委の採用試験に際して、その試験の施行、採点、合否の決定まで広い範囲にわたる職務権限を有する上級職員に高額商品券を贈って合格に漕ぎつけている。そしてそのあとはこれに付随して、校長、教頭試験で昇進のためにも同じ請託に応じる事件が発覚した」
 ―義務教育課の範囲だけではないと思いますね。
 「教育委員会の組織は小、中学校の義務教育部門と、高校教育に2大別されている。ここで扱う教材、事務関係費、校舎建築費など巨額の資金、つまり県民の税金などが投入されている。今回の不祥事は、義務教育の教員採用と、学校幹部の昇任試験だけが対象になっているが、義務教育だけが長年汚辱にまみれ、その他部局は真っ白だったのだろうか」
     (つづく)

2008年7月19日 (土)

新市政夜話

まるで別物補助金サギ
これが青山中と防衛道路の場合

 ―ヘーエ。教育委員会のはじまりの頃、学校建設をめぐってそんな事件もあったのですか。
 「当時はまだ、今日新聞も創刊して日が浅かったが、社員一同、金権を排除して社会正義を確立して住みよい地域づくりに邁進しようという意気込みに燃えていた。半世紀の間にはいろいろあったが、市民の目となり耳となって走り回ったものだ。ちょうどこのころ青山中学校モデルスクール事件が発生して、今日新聞は全力あげてこれに取組んだこともある」
 ―青山中学校は6・3制のモデル校として、別府で最高の位置に、最高の施設をつくり、全市の関係者をうらやましがらせたと聞いていますが…。
 「自慢のモデル校舎も半世紀近い年月を経て、白亜の壁は剥落する。板張りの廊下は、デコボコになるわ―で改修の運びとなった。問題が起こったのは、第一期のモデル設計による新築の校舎建設であった。なにしろ当時としては、マッカーサー政策にそってつくられた校舎規格であったから建設単価もズバ抜けて高額であった。戦後の荒廃期、地方財政の範囲内でつくられた設計規格と比べると、坪当り2万円も差があった。別府の財務関係者は、実際には従来の、一般地方単価で工事は発注したが、国、県の補助金の方はチャッカリ、モデル価格で請求してゴマかしていた。
 ところが、天網カイカイというか、これが外部の知るところとなって、告発事件に発展してしまった」
 ―補助金をダマし取っていたワケですね。
 「補助金サギといっても、いろんな種類があるもので、ダマし取った国庫補助を、そのまま個人のポケットに入れるのとは、まったく事情は異なっている」
 ーヘーエどんな違いがあるわけですか。
 「たとえば当時富士見通りが日米行政協定によって改修することになり舗装工事を行った。日米間の話合いでつくる防衛道路は通常戦車などの軍用車両が通るので、舗装の厚みがまるで違う。一般市道の舗装が、8㌢の地方自治体水準でやると、軍用はそれより7㌢厚い硬質セメントを使用するという具合に、大きな開きが出るものだ。これをある業者がスッパ抜いて、異例の再入札となったことがある。このときは主務の友永土木課長、河村助役は怒髪天をつくようにタギリまくって、その業者には以後一切の公共工事にはふれさせないといっていた」

      (つづく)

2008年7月18日 (金)

新市政夜話

馬を射るため委員狙う
全復興の次は学校建築ブーム

 ―きのうは教育首長の美名につられて、全国に生れた教育委員会制度の話が出ましたが、元来が市民意識の薄い国には、適していない制度のような感じを受けました。
 「まるでお殿様になったつもりの、田舎の教育委員さんには、まわりはみんな大弱りだった。しかも教育制度が変って、それまで尋常6年、高等2年の初等教育が舶来の6・3・3、つまり小学校6年、中学3年、高校3年の年限に改まり、このうち小、中の6・3制に合せて全国に学校建築ブームが起こった」
 ―いっせいに、新制度新校舎となると大変な費用がかかったでしょうね。
 「6・3制の新法は、戦後のベビーブームの影響もあって、すべての市町村はこの水準到達に大きな物心両面の努力を払わねばならなかった。プレハブ教室や、間仕切りづくりも登場した。戦災復興の緊急工事にひとくぎりした土建業界は、この校舎増築はまさにタナからボタ餅の朗報だった。業界は学校建築の競争入札に、談合にと駈回ると共に、将を射んと欲すれば馬を射よの逆をいって、まさに馬を射るためには、まず大将の教育委員を―とばかりにいっせいに走り出した」
 ―これは壮観。この走れ走れの気運が、50年間続いて教育はもうかる。これで稼がにゃ―式の現代になったのでしょうね。
 「教育委員制度の問題点が浮彫りになるにつれて、各地で見直しが進められ、まず財政構造が変った。まるきりの素人集団に、教育の場という最も公益性の高い建築部門は、危ない上に業者まかせになるのは許せぬということになり、まず建設関係はすべて、市町村の本庁の専門家が担当することになった。これで異常ヒートした学校建築業界は、火の消えたような落胆ぶりだった」
 ―そんな大変革があったのですか。
 「建築工事は本庁所管になっても、設計委託は別モノだと、それぞれの教委が{自主的}に発注する例もあった。ある市役所建築課の幹部が、こうした郡部の学校建設の設計を委託され、内職に持ち帰って家人やその従業員を使ってカセぐ、世にも不思議な図式も現われた。こんな二重構造、公私の混同スレスレの設計受託とは、法的にはともかく、社会一般の通念にもそぐわない―と今日新聞が指摘して当人とインタビューをしたところ、その幹部は即日、市役所を退職してしまった例もあった」

      (つづく)

2008年7月17日 (木)

新市政夜話

苦しうない近う寄れと委員さん
全国一斉教育知事が生まれる

ー戦後の混乱期に生れた制度ですからトンチンカンもあったでしょうね。
 「昭和21年3月にアメリカの教育使節団が来日して出された報告書に基づいて全国都道府県市町村で、23年実施された選挙による教育委員が選ばれた。
 真の民主主義は教育の改革からという掛声が華々しく鳴物入りで宣伝された。
 『県の教育委員は県知事と同格。イヤ、それ以上になるんデエー』と宣伝した。戦前の知事は官選で、内務省あたりから都落ちして就任していた。位階勲等からいえば勅任官だから、
 『ヒロセ知事{閣下}』
 と呼ばれた。宣伝どおりの制度ならなら、教育知事という名称なのだから今なら
 『小矢大分県教育長カッカ』
 となるワケで、俄かに人気が集まって23年の暮れまでには全国津々浦々までこの旧制度の閣下相当官が続々と生れた。
 日本が韓国でやったのは『総皇民化』『創氏改名』『徴兵』だったが、アメリカが日本でやったのは、この教育閣下と自治体警察。これで、超国粋主義、軍国主義を根絶し、1億デモ暮らしーで、国際平和は確立したと喜んだが、そのヌカ喜びのツケをいま大分県民は取立てられているのだというものもいる」
 ―外来の制度に飛びついた弊害というわけですね。
 「英国で生れたこの制度は、ボード オブ エディケーションといって、産業革命いらいの歴史の積み重ねの産物だ。日本にも江戸時代からの寺子屋制度、明治天皇の『村に不学の戸なく、家に不学の人なからしめん』という壮大な教育制度があった。なにしろ、明治の初年に日本全国に5万校をつくったというのだから。いかに我が国が教育に力を注いだか、また字の読めない文盲追放につとめたかは、この舶来の新思想よりもはるかに進んだものがあったのだが、戦後の混乱期独特の『ギブミー チョコレート』式に大衆はマッカーサ元帥の政策に飛びついたのだ」
 ―新らしいもの好きの日本人ですから当時の状況も察しがつきますね。
 「市町村にもこの教育市長、教育村長がワァーッと生れて、威張り散らすものだからたまったものではない。ある教育委員の如きは女教師帯同で出張して、旅先の風呂場につかって女教師を呼び背中を流させるという委員も出たくらいなのだ」
 ―こりゃ驚いた。今ならセクハラで大騒ぎでしょうね。
       (つづく)

2008年7月16日 (水)

新市政夜話

パソコンに全人生かける
教育人事の改正点を考える

 ―教育人事の改革が進められているようですが。
 「人生の岐路に立って、最後の判断にあたり、パソコンの数値だけに未来のすべてを賭けることは、これまでの価値観の全否定につながるという声もある」
 ―それはいえますね。子供たちの針路が、3億円の宝くじみたいに、機械がきめるというのには抵抗を感じますね。
 「機械的な決定にすべてをまかすということは、1種のバクチじゃないか。これからの教育は、判断の難しい局面になると銀貨を投げて、表裏に賭けて決定するという、形式的には1種のバクチに出る者がふえるのじゃないか―という声も出た。
 しかしこれは事の本質を誤った議論であって、コンピューターによる選考は、偶然の集積ではない。昔流にいえば読み書きソロバンの能力、ホタルや雪の下で行ったすべての努力の結末を残らず数字にして記録してしまう。その総計だけが、順位を決定する。よくある出題のマチガイは、判明次第にその回答部分を削除して、正確さをを求める。これが1次試験だ。第2次になると、体育音楽などの特技、演習授業などの総点をこれに加算して、これは採点者の主観もあるので、このぶんは比率を下げて、計算して最後の順位を決定するのは、パソコンがやるという方式だ」
 ―大変な手間をかけるやり方ですね。
 「ところが、どんなに時間や手間がかかっても、機械がやるのだから処理過程でマチガイや不都合が出ると通常処理からハネのけてしまう。ハネられた部分の点検をして、再び機械にかけるのだから間違いの発生は気にしなくてもよいワケだ」
 ―なんとも味気ないやり方ですね。
 「味気ないようでも、機械処理は、試験官、採点者の個人的感情、好悪の傾向を入れる余地はないから、多数回、実行するほど、個人の能力の誤差が縮小するわけだ。その上、最終決定をする際に採点内容を操作できないよう、受験者名又は本人を特定するための番号はすべて乱数処理によって、他人のうかがい知ることのできないように秘密にして、決定してしまって行う。それが終ってはじめて正しい番号、氏名に復原する。これまでをすべて機械がやってのける」
 ―ヘーエ。スタートレックの、架空の世界のものがたりみたいですね。

      (つづく)

2008年7月15日 (火)

新市政夜話

強すぎる社会的影響と波紋
社会制度の仕組みと教育委員会

 ―本県の教委汚職は、構造的な問題があるということでしたが。
 「採用人員に対して、志望者が、10倍を超えるという異常な事態がズーッと続いている。その数は採用人員に対して極端に多く、本県は14倍という驚異的なアンバランスが底流にあったということ、県議会や、組合に一定の推せんワクがいつもあって、繰返して裏口採用が行われてきたことなどが独特だ。
 全国平均をみると、00年の13倍をピークに年々比率が減少している。06年には、全国平均は、4倍と緩和しているのに、大分だけは、05、06年13倍、07年がやっと12倍で、まだまだ狭き門だ」
 ―競争のはげしさが、あの手この手の不正手段となったワケですね。
 「関係者のいい分を聞いていると、採用者50名のうち試験の合計点から上位30名程度をとり、残る20名近くは『男女の比率』『臨時講師歴』『口利き、推薦』などを考慮して選出してきたといっている。期間が長いほど“口利き、推せん”の機会がふえることは、自然な成行きだ」
 ―県内には他に主要な産業、企業が少ないことも理由にあるのでしょうね。
 「推せんを依頼されることは、避けようがない。声はかけたが、それを見返りに金品を受取ったことはないという県会関係者も出た。郷司別府市教育長も推せんをしたことはある。但し一般的社交儀礼の中元・歳暮の贈答を超える範囲の授受はない――と否定している。
 一方では、1次試験の始まるまで、あと旬日。ことしは国体開催年とあって、全国都道府県教委の関係会議が、大分で開催の運びとなった――などとシッポに火のついたあわただしい事態となってきた」
 ―どうやらこのあたりで幕というのが、司直の捜査の限界ということですか。
 「世の中、すべて限界はあるものだ。刑事の原則は、一罰百戒といって、社会のできごとの善悪を法律の条文に照らして処罰するのがキマリだ。選挙違反は芋ズル式にゾロゾロ連累者が『発見』されてるときでも、取締本部が解散すればそこですべてはストップする」
 ―そういえば、ここでやめるのは不公平だという不満を耳にしました。
 「過ち多き人間社会の、刑罰のしくみはそういうものだ。しかしこの事件、社会的影響の度合いが強すぎる。教育委員会という制度そのものにも問題があるといわれている」
      (つづく)

2008年7月14日 (月)

新市政夜話

選挙とカネのくされ縁
求職資格者と定員の極端な開き

 ―さて先週は、別府のタクシー勢力図絵半世紀、観光タクシーの巻から、いま話題の県教委汚職へと夜話の路線が移りましたが、実に不名誉で困った問題ですね。
 「大分県に比べて宮崎県の方が、言葉は優しいが、はるかに深刻な問題があると、つい先日いったことがある。現職の県知事が、一介の土建業者から過去の贈収賄の事実をスッパ抜かれ、失脚した事件があったばかりだ。保守政界の長年の悪しき慣行で、選挙に資金がかかりすぎ、それが原因で、投票の前後に金の流れが荒ッぽくなる。これはよくあることだが、通常、知事級の選挙になると、資金集めもその支途も、システムに乗って処理するように体制をととのえるものだ」
 ―それが一般的な選挙事務であり資金規正法もそのためにあるのは常識ですからね…。
 「その組織が確立せぬまま資金が流れると、献金かワイロか判断が難しくなり、ここに疑惑が生じると、事件になる。宮崎では銀行頭取や、有名会社の代表がある日突然、取締役会で解職されたといった事件があった。
 その点大分は、細田官選知事のあと、木下、岩崎対決時代から保守系は戦前から続いた。また政党組織、業界団体の政治経験も豊富であり、木下革新知事時代は、候補者本人が法律家であったこと、大分県労評の片山内閣時代から受けついだ人と組織のつながりなど底流がシッカリしていたので大きな間違いはなかった。
 しかし今回の県教委の一連の事件は、組織的と大方が見ているように、行政組織だけの不祥事とはいえないようだ。二宮、江藤両人だけを犠牲にした「トカゲの尻尾」で終らせてはなるまい。事件は永い年月「10年くらい」以前から慣例化していたといわれているが、決して10年ではない。もっと古く、30年、いや50年近くも繰返されてきた構造的な事件なのだという意見もある」
 ―50年というと永い、永い歴史があるわけですね。
 「全国紙がトップ記事で、連日書き立てた中で気になった数点の個所がある。それは事件は単に偶発的に発生したのではないということ。10数年にわたって、極端な求職者と、定員の開きがあり、新卒採用は僅かに2、3人、他は臨時教員に従事していた過年度卒業生から遂次採用していた点だ」

     (つづく)

2008年7月12日 (土)

新市政夜話

地に落ちた教育の権威
組織的汚職の構造が存在した

 ―大分県教委汚職は志願者の試験に際して、その採点を加減して不当に合格させたり、失格させたりなど言語道断といえますね。
 「私のごく身近なところでも、千葉大を優秀な成績で出たが、県教委の試験で落ちた。最近は熊本大を卒業して《かなりのデキと思う》と自信を持った子が合格できなかった。30年も前のことだが、前者は東京都下の離島で奉職、最近校長職まで勤めて退職した。後の一人は、私学の教諭をしているがどちらも女子であり、これが彼女たちの人格形成にどんな影響を与えたか考えただけでもおそろしいくらいだ」
 ―この事件の焦点は、不正な操作で合格したものの取消しと同時に落選者の救済という点に絞られているようですね。
 「県教委は、審議監と参事の間で複数回の金品授受があったことから組織的な不詳事件と認めている。しかしこの取消しや復権については、捜査中に資料が押収されているので、時間がかかる―といっている。子弟の教育、その仕組みは、神聖公正なものと考えられていた。その権威が崩壊し否定されたようなものだから、社会に与えた影響は計り知れないものがある。
 いま県民は、司直の手がこの時点で止まることなく、あくまでも徹底的に追及することをのぞんでいる。その怒りは昭和初年の売勲事件以上だ」
 ―県教委は点数操作で採用した者は取消すといっていますが…。
 「これが簡単に行くなら苦労はない。父親なり母なりが要路にカネをまいて合格させた子供がいて、この子はまったく事情を知らずに公正に採用されたと信じて勤務していたとしよう。ことし3月のことだ。それが今になって、不正操作による合格だからこれを取消す―といっても、それまでの一切を知らずに、県教委の決定にしたがっていた者の、身分に関する取消、抹消剥奪が平然とできるだろうか。これは試験点数の操作の問題ではない」
     (つづく)
 売勲事件とは
 昭和3年秋、賞勲局総裁天岡直喜は貴金属商から多額の政治運動費をだまし取ったと、東京検事局が調べ中に、発覚。
 最初に摘発を受けたのは、堤清六(日魯漁業会社社長、代議士)で天岡に1万3千円をおくって勲三等に、横田永之助も千円で勲五等に、藤田謙一(東京商工会議所会頭、貴族院議員)が勲三等で5千円、熊沢一衛(伊勢電気鉄道会社社長)は6千円を、同じく渡辺孝平(北海道鉄道会社専務取締役)で藍綬などを手にした。
 最終の控訴審判決は、天岡懲役2年、追徴一万二千円、鴨原懲役1年6月、追徴五千円、横田ら罰金。(フリー百科ウイキペディアから)

2008年7月11日 (金)

新市政夜話

県教職委汚職の温床を探る
内定という名の選挙対策

 ―末松市長との出会いが、その後の役に立つとは、人生なにが幸せになるか分かりませんね。
 「終戦当時、岩屋は兵事課長だった。軍の要請によって徴兵適齢者の検査の実施や戦争遂行のための命令伝達を担当していた。戦時の市町村役場は、戦争推進の中心であり、このポストは、役所内では最右翼となっていた。このあたりにもキレ者の一面がうかがえる。昭和14年、戦時特例で市役所入りした彼にとって、役所吏員の生活はオドロキの連続だった。別府市の役人は、法令よりもまずコネが優先するとされていた。永い政党時代から続いてきた市会議員とのつながり、親分の主張、要求が、上司の命令や、法令、実例よりもはるかに上位にあったのだ。むろん、退庁後も、親分宅には、冠婚葬祭、すべてにわたりしじゅう出入りしていた」
 ―別府市では役所マンが議員と結びついて、仕事をなおざりにしているという話は今でもかなりあるようですが…。
 「この風習はちかごろ、かなり改善されたといってよい。ひところのように、採用人事が非常に乱れていたころは目をおおうものがあった。もっともヒドい例は、荒金市政の末期、採用試験の合格者を発表するのに、予定人員の2倍近い受験者に〝内定通知〟をしたこともあった」
 ―市役所試験の内定通知とは、はじめて聞きました。
 「内定通知を受取ったものは、直後に行われた地方選挙に際して、次期当選の見込みのある候補者に投票する。選挙権を持たない者もいるだろうが、そこは両親兄弟など縁類のほとんどは受験者の利益をはかるのが人情だ」
 ―なるほど、。それは当然の成りゆきですね。
 「選挙の公正を害するばかりではない。将来ある若者が全体の奉仕者たるべき本分から離れて一部党派や、特定候補(主に現職)に投票することになる。公益よりまず自分の利害だ」
 ―なるほど、大分県教委汚職と共通のものがありますね。
 「中央官庁では、残業帰りの長距離輸送の実績をつくるため、タクシーが利用者に金券やビール券を贈ったり、居酒屋に招待して物議をかもした。大分県では教師になるため狭き門の試験に手心を加えてもらおうと、現金や金券を贈って教育審議監や教育長、贈賄側の父兄である教員が捕まった」
 ―しかもこれは氷山の一角だという声もありますね。
    (つづく)

2008年7月10日 (木)

新市政夜話

キンを抜かれると大恐慌
市長の一声で混乱まぬかれる

 ―岩崎、岩屋の時代に割って入ったのが、梅野の東タクシー。これにつづいて向浜に本社のあった温泉タクシーが登場するワケですね。
 「温泉はまもなく関汽にかわる。このころ別府で第1号のタクシーストがおこった。合同タクシーの組合幹部が退職して経営者になったからだ。組合の裏のウラまで知りぬいたベテラン相手じゃ運転手は息つく暇もないと、かえって先鋭化したようだ。」
 ―難しい時代に、業界入りをしたわけですね。
 「岩屋は役所入りして、配給課長をしたあと助役までのぼりつめて、脇と市長ポストを争って、荒金に漁夫の利を占められたことは前日のべた。岩屋は大野郡の出身で、熊本の電信教習所に学んでいる。このころの電信は、今ならマイコン中級、だが当時は逓信省のエリートコースにつながる官立の教育機関で、実務のベテランや文才に秀でた人材を輩出している。官立から新聞畑に転じた連中の特性は、大正デモクラシーの洗礼を浴びて自由かっ達の人生観を抱く者、至上命令だった忠君愛国と共に、その中で合理性を追求するタイプに大別される。岩屋の強靭な合理精神は、戦後の混迷で虚脱状態に陥ることなく、市役所新時代の中核となったのである。
 彼の新時代はアメリカ式のニューデイルをバックにした合理精神にあった。終戦直後、『アメリカが進駐してきたら男はキンを抜かれて重労働、沖縄復興に使われる。女性は既婚未婚をとわず従軍慰安婦として彼らに性的サービスを提供するか拒めばレイプされる』と流言蜚語がとんだ。婦女子は争って、近郊の山や、市外に避難しようとした。このとき時の末松偕一郎市長が「ゼッタイに心配はいらぬ。相手は文明社会の人間だ。安心して今までどうり生活するように」と断言した。
 ―当時としては思い切った発言ですね。
 「内務官僚出身のインテリなので、ジュネーブ条約をはじめとする国際公法を知っており国際社会の常識として、戦後の占領下に暴行掠奪、陵虐といったことが横行できるワケがない―というのがその根拠。それがまったく{法と秩序}を無視したような流言を生んだのは、旧軍の{生きて虜囚の辱しめ}をうけることをきらった、ケガれの観念や国際孤立主義が思想の根底にあったからだ。末松のような人材に仕えた経験が、岩屋のその後の合理主義経営の中心にあった。」

     (つづく)

2008年7月 9日 (水)

新市政夜話

昇華したタギる子への愛
別府には身障人権のトリデあり

 ―本郷泉都興産社長の開業じだいですね。
 「本郷の義父は市会議長を二度つとめた石坂一馬、別府に身体障害者専門の自動車教習所をつくって新時代を画した。石坂は熊本済々黌(せいせいこう)の出身で、すぐに国武水道に入社した。在職中に観海寺一帯の開発を手がけ、ついで荘園の区画整理分譲を手がけた。20㍍4方の、一戸建分譲規格が次々とつくられた。桜の並木の中心を境川小から西病院前に抜ける一大開発だった。その石坂は口数が少なくてメッタに笑わない〝3年片頬〟の言葉そのままだった」
 ―3年片頬とはナンですか。
 「男子たるものゲラゲラ笑うものではない。心を許して喜びを表わすのは3年で1度くらいでいい。それも満面笑み崩れるなぞミットモない。笑うにしても片頬でちょっとやればよいという意味だ。いま朝から夜中までゲラゲラ、ガヤガヤと騒がしいテレビタレントに聞かしたい。その彼が福利には特別な関心を寄せたが、これは勧銀在職中の長男が事故のため負傷し下半身不随となったのがおこり。かれは非常な苦労して『車いす世界一周』の紀行文を刊行した。それまで差別社会の片すみで身障者は家の恥、社会の厄介者とさげすまれ、うとまれてきたものが多かった。世界が変わったと実感させた著作であり、これを現実のものとして、どこでもいつでも、望むところに行けるのだと知らしめた施設だった。
 無口で笑わない石坂の、心の奥の底のここには煮えタギるような子への愛がかくされていたのだ。この教習所の完成は、身障福祉の別府を国中に広く知らしめ、別府は全国にさきがけて“身障モデル都市”に指定され、太陽の家がつくられ、そして別大マラソンも大分原産のような形になっているが疾駆する車イスの発想のその原点は別府市。このあたりはもっとハッキリ〝福祉と、とり天の本家は別府〟だと声を大きくすべきだ
 この自動車練習所がそれほど彼らは希望を与えたが、善行の効果は子への愛という限定範囲から無差別、不特定多数へと拡大したときに称えられるべきだ。ライオンズクラブは、この功績に応えるため先年、ライオンズ市民賞を贈って顕彰したたことがある」
      (つづく)

2008年7月 8日 (火)

新市政夜話

日産とみなとと観光のルノー
ビジネス街は花盛りの時代

 ―日産オンリーには、そういう事情があったのですか。
 「当時ニッサンは、トヨタのこがね虫スタイルのトヨペットコロナに対抗して、それまで760㏄だったエンジンを千㏄に格上げし、クランクのボールベアリングの代りにメタル軸受けに改めた。ボール軸受けは効率が良くて摩擦抵抗は少なかったが、接触点が多いためにボール独特のうなりがあったので、このメタル転換は静かなエンジンで人気を呼んでいた。タクシーもこぞって使いはじめた。観光のルノーとみなとのダットサンが競争で走り回った。ようやく好況期に入ったが、岩崎には他社の経営者に比べて、通常の大学に行ってない―というコンプレックスがあった。陸士とそのつながり、当時最高の英才教育じゃないかといっても『イヤ遊んで楽しむ期間がなかった』とよくくやんでいた」
 ―意外な悩みがあるものですね。
 「日本の復興が進んで、余裕がでてきたころだ。経営者としてはシビアな面もあったが、経済同友会あたりの団体活動をしていて、とくに北九の連中と交流するうちに、立場の違いを切実に考えたのだろう。実弟の副社長の方は徹底したプレイボーイで、60の声を聞いてからも大分白木の海水浴場でサーフィンをするほどだったが、ひとこともコボサなかった。」
 ―現在でも主軸はメタルなのですか。
 「それが、又いつの間にかボールに、ロールにと変化をとげてきたのが日本の自動車工業だ。第2次大戦後、空への道を絶たれた日本の工業技術を国運をかけて支えたのが自動車業界だ。30年代に入ると、10万㌔無整備の時代に入った。10万㌔というが、平均自家用車は年間1万㌔前後だ。つまり月間千㌔以内の走行だから10年間も無整備で乗れるというのは大きな魅力だった」
 ―戦後10年間で長足の進歩をとげたワケですね。
 「日本を代表する工業力を耐えず前進させている自動車工業の話はつきないが、人脈からみても、当時、亀の井バス常務で別府ライオンズを創立した青木正行は、一橋大卒業後日産本社の経理部に入った。海軍経理学校出身だ。また荘園町に本社のあった石坂一馬元市会議長の女婿の本郷宣雄も明大卒の日産育ち、別府ロータリーの岡島大輔会長のとき、例会場の亀の井ホテルで、入会あいさつを聞く機会があったが、巨大企業で磨かれた人材だけに堂々たる弁舌をふるった」(つづく)

2008年7月 7日 (月)

新市政夜話

エリート社長に悩みあり
観光別府の骨格造った岩崎岩屋

―岩屋、岩崎の両社長がそれぞれ全力を尽くした泉都の交通合戦は興味シンシンですね。
 「まずみなとから見てみよう。岩崎の歩みからみてみよう。彼の創業の精神、目標を考えよう。経営の第一はどこか。よく『遂次戦力投入は敗北を招く』と資金力を歎いていた。ところで彼の指揮統率の基本はナニだったか。旧陸軍は軍人勅諭に明記されている忠節、礼儀、武勇、信義、質素が最高の指導要綱だった。明治天皇が制定発布されたもので、これを中心に国民皆兵の原則が浸透していた」
 ―軍人勅諭があったということは聞いています。
 「陸士出身の岩崎は戦前の、この『忠君愛国』では、会社職員の統率はできないことに着目していた。指導原理をどこにおくか。これは兵学と統率の原則を徹底的にタタキ込まれた元将校の行動の基本とすべきもので、忠君愛国の原点を、わかりやすくカミくだいた信仰、仏所護念の教義に置きかえた」
 ―なるほど。そういわれると、みなとの社風は他とはちょっと違ったところがありました。
 「旧陸軍というピラミッド型の階梯集団の中で、徹底的にシゴかれて卒業、任官してしていた彼の場合は、必要以上のコトアゲ(言挙げ、つまり弁舌)は避けて、まず会社基本の確立、ついで内務の規程の強化をはかり、作戦要務令、指揮統率などと組織づくりをするマニュアルには事欠かなかった」
 ―ひところ、ビジネス社会の経営哲学に孫子の兵法が出ていましたが、彼の場合、少年時代からの教養が実戦でも役立ったわけですね。
 「統師は将師なりという言葉がある。優秀な指揮官を戴く10人の兵は、凡将の下の百人の部隊を撃滅している。戦争は単に銃砲をうちあって、対手を殺傷するものではない。持てる限りの、いや現時点で所持してなくても、近く手に入る新兵器、工業力、技術、新思考などすべてをあげて敵を圧倒せん滅し、戦いが終って戦勝を告げて軍政が終るときまでが戦いなのだ。こうした戦術論は、充分に体得している岩崎にも大きな悩みがあった」
 ―それは初耳です。どんな悩みがあったのですか。
 「岩崎は復員したのち、大分日産に入社し販売部門で好成績をあげて経営管理部門にまで登用されたが、本人は県下の顧客層、友人、知己にもよびかけて好況期に入った別府で創業した。したがってみなとの車両はすべて日産製、他社製品は一切シャットオフだった」
     (つづく)

報告!猛暑到来

 念願の東九州高速、津久見―佐伯間に乗ってみた。いままでよりも1時間早く釣り場の旧本匠村の水辺の学校に到着した。
 さて第一投となったが、ここで釣り竿を忘れているのに気がついた。小西会長の予備竿で試したら入れぐいの大型が次々。ついで北川に廻ったが、借り竿は、カミしめにくい義歯よりもギコチなく、午後は33度を超える、ことし1番の猛暑にうだって早々納竿した。
 期待した佐伯ICは、遮音壁のおかげで、どこについたか、地図の上でもまったく見当がつかないテイタラクだったが、料金だけは別府―光吉に8百円プラスの1550円と判った。

2008年7月 5日 (土)

新市政夜話

公共交通機関の負う責任
暴風の朝の駅頭の空虚な風景

 ―まるで斬取り戦国時代の半世紀、というのが前回までのお話でした。
 「まだモータリーゼーションという名称も出ていない時代だ。しかし我が国のエネルギーが、石炭から石油へと転換しはじめた。エネルギー革命と騒いだものだ。東名高速が開通して鉄道貨物はトラックに、駅前通りのニギワイは、IC近辺へと移っていった。泉都を舞台に観光業界も次第に活況を呈してきた。三番手のタクシーは、向浜に本社をおく温泉タクシー。これで一応役者は出そろった」
 ―まだまだこのあと、関汽、第一、亀の井タクシーとつづきましたが…。
 「変化期の業界は、タクシーに限らずどの商売でも同じだ。新規開業とは、市場に切込む余地のあるときに生れ、新参の登場に伴う業界展望の多角化、解釈のくい違いから生じるマサツなどのため全体がヒートアップするものだ」
 ―そういえば、このころ個人タクシーの創設もありましたね。
 「タクシーに限らず官公庁から企業などの専門運転者が、高齢化しこれを吸収するためにできた制度だ。第一号は脇鉄一ごろから勤続した市長乗用車の原田運転手、市会議長車の水上運転手らが、スムーズに免許を獲得した」
 ―無事故、無違反でつとめあげた人たちの個人タクシーは、テイネイで親切だという観光客の声でだいぶ話題になりましたね。
 「交通機関の至上命令は、いつ、どこでも、誰でも、適正に交通運輸の需要を充たすことにあり、一部の人気だけでは正当な評価とはいえないものだ。私は暴風の朝、出張を命じられ、早朝目的の駅に下車した。ところがタクシー乗場には一台も客待ちがなくて、30分近くも待ったあと、やっと帰ってきた一台に乗って隣り町の現場まで向かった。運転手は近隣の災害のようすから、被災地の状況など概略を説明してくれたが、こんなときに頼りになるのは、会社タクシーなのだ」
 ―そんな一面もあるのですか。なるほど交通機関ですからね。乗れなくてはハナシにならない。
 「こうした利用者の要求にこたえるため、タクシー会社は、キビしい政府の拘束をうけている。従業員の健康管理から車両の安全確保、適正運賃の維持監督等でおびただしい点検、報告、監督が繰り返され、こうした人間社会の英知の上に、営業が行われているのだ」

      (つづく)

2008年7月 4日 (金)

新市政夜話

泉都交通業界の半世紀
まるで戦国切取り自由の乱世

 「カゼのためにこの欄を休載したが、その間、読者から『どうしたのか。楽しみに読んでいるのに』とか『勝手にやすんでは困る』と10件近くも督促の電話、社員を通じてのメッセージが届いた。誠に申し訳なく思うが寄る年波には勝てないので、今後は十分健康に留意して市民読者の目となり耳となって書き続けねばと志をあらたにしているところだ」
 ―昭和30年代は、タクシーの戦国時代だった。その激戦の中を、切り抜けてきたのだから、梅野さんは女傑のうちですね。
 「前出の岩屋、岩崎という強剛の中で一歩も退かなかったんだから大したものだ。当時をふりかえってみると、観光タクシー社長になった岩屋護は元別府市助役、その前身は今日新聞社長で14年に戦時企業統制令で廃刊して市役所入りしている」
 ―ヘーエ。新聞社長だったのですか。それは初耳でした。
 「今日新聞社々長といっても、戦前にすでに廃刊していて市役所マンになったのだから、現在の本紙とは資本、資材、人材いずれもつながりはない。しかし戦前別府を賑わした地方紙の題号は、活発だった言論活動、歯にキヌ着せぬ論調で人気があった」
 ―そりゃそうでしょう。
 「同時期に役所で働いた部下職員によれば、メッポウ法令に強くて一度耳にしたことはハッキリ記憶していて、決裁をとるにも前言と違うと、決して判をつかなかったという」
 ―それはブン屋稼業でキタえた人だから、そこらの役人とは大違いでしょう。
 「その岩屋が、一度は市長―助役とコンビを組んだ、脇鉄一市長と対立して市長選を争うことになった。結果は荒金啓治2万5千、脇鉄一1万8千、岩屋護7千で、漁夫の利は荒金のものとなり、南部出身の彼は、なんとそれから20年間にわたって市長のイスを独占した」
 ―トップと2番手が争うとどうしても3番手が成功するのがこれまでの例ですね。
 「その直後に岩屋は観光タクシーの経営に乗り出した。当時同社は流川通りから裏駅通りをちょいと入ったところにあって、従業員の質も悪くて、むろん経営も最低、資本バックの亀の井バスももて余しているときだったが、次第に業績を改善していった」
 ―ラツ腕家だったわけですね。
 「一方、北浜交差点東側で、同時期に開業したのは、陸士出身岩崎二郎みなと社長で、しばらくこの両社が合同、泉都という戦前からのノレンに続いて別府におけるタクシー業界を牛耳った」

     (つづく)

2008年7月 1日 (火)

新市政夜話

名題会議所騒動の立役者
楚々たる女性代表と一騎打ち

 ―いよいよ今年も後半に入りました。観光協会問題もコジれにコジれて、裁判所沙汰にまで発展しました。こんなときに5半世紀前の大分交通社長問題をふりかえっているのは、ワキ道に入りすぎるのではという声もありますが…。
 「ところが、これらはすべて、現代の別府観光に連係があるのだ。松岡社長はやがて退陣して故人となった。その後任の花畑一郎副社長が昇格したころ、地獄組合に一大変事がきた。このあと亀の井バスは、九州最大の西鉄傘下に入りそれから、大分交通も同じ足どりをたどったのだ。大交と亀の井が、同一系列にはいったことは、長い目で見て別府市にとってどうであったかを、考えるのは決して道草ではないのでは…」
 ―ところで今回の観光協会問題は、別府初の女性代表に対して、理事会が『待った』をかけたという形ですね。
 「梅野さんは25歳でタクシー会社をおこした。色白のポッチャリした丸顔の麗人で、当時、岩屋、岩崎といった新鋭古豪を相手にして一歩も引かずに社業を進めてきた。その梅野女性会議所代表に対して、片や、今回一連の会議所騒動の立役者間島一雄都ネクタイ社長の声が出たのである。
 ヤアヤア遠からんものは音に聞け。近くば寄って目にも見よーと、登場した都社長は浜脇の出身、前々回浜田市長誕生のときは、井上自民陣営の選挙対策本部長であった。その前は県会選挙を闘った浜田博市長の後援会長をつとめていた。いうなれば佐幕勤皇両方にマタをかけた大物だった」
 ―イヤー。これは驚きですね。幕末時代なら、公武合体のころの天皇サマのような存在ですね
 「こんな例は、さしもの別府市でもカイビャク以来のことで、政争で名高い本県でも、かって例がない。弁護士ならば、当然、倫理委員会に掛けられるようなケースだね。なにしろ全く利害の対立する両陣営に君臨したわけだからね。」
 ―一商事会社の代表が、政党支部の選挙資金をあずかるという図式が、前代未聞とされた。それかあらぬか〝3バカ大将に一太郎〟という、選対幹部評がささやかれていた。」
 ―それは聞いたことがあります。3大将のひとりが旅館業界幹部に発言の真偽をきいたところ『そんなこというわけがありません』とこたえたそうですね。
 「これを聞いて、その大幹部は『そう聞いて安心した。人間カゲではどんなことでもいう。面と向かっていわれたワケではないので安心した。』といった。多少とも政党活動をした人物なら考えられない。統制を大事にする選挙なのだ」

      (つづく)

2008年6月30日 (月)

新市政夜話

主役登場で大向こう湧く
果たしてどうなる協会会長選任

 ―観光協会の職員が、取材を妨げるようなことがあったとは意外でしたね。
 「いま全市を湧かせている観光協会人事の焦点は、梅野はとタクシー会長に対して、会議所騒動の立役者、間島一雄都ネクタイ社長の呼声が上ったことから俄かに市民の視聴が集った」
 ―ここ数年、沸騰する会議所紛争の中心人物ですからね。いや会議所だけでない、市長選挙以来、話題のヒトですからね。それにしても50年前、本県を代表する大分交通の社長交替の原因をつくったのがミニコミ紙とは意外でしたネ。
 「私たち日刊紙には話さないホンネを彼等はよく聞き出してきたものだ。一人一人は、組織に適合しない一匹狼やヘンクーが多かったのは事実だ。一寸の虫にも五分の魂というが特別反骨の強い人たちだった。それだけに彼らが真剣になるとしばしば大事件を引き出した」
 ―なるほど、ミニコミ紙とひとくちにいっても、いろんな階層種別があるということですね。
 「社長権限をストップしろという訴訟は、福岡県の株主から出された。二人の有志代表は福岡市の弁護士を代理人にして大分地裁に、松岡社長の健康状態、加齢からくる決断の誤ち、対人関係の破局など企業経営者として適格性にかける―と前述の申立をした」
 ―えらい事態に発展したものですね。
 「当時大分の法曹界は、民事の後藤熊、民事の後藤万という二人の後藤が有名だったが、大分交通は後藤自社顧問をおいて、若手の羽田野忠文弁護士に対応をまかせた」
 ―ちょうどこのころ、九州のバス業界は再編のときにさしかかっていたのでしょう。
 「福岡の株主有志代表が申立てた仮処分の理由は、おおよそ、松岡社長は永年職務に忠実に従事したが、高齢化、病気のため暴発することがある。業界は、いま早急な改革を求めているときにこれでは対処できない。そこで現時点で社長権限を停止してこれ以上のデメリットを防ぐことが出資者たる株主の意志だ―と主張した」
 ―ナルホド。
 「これに対して羽田野弁護士は、松岡社長は戦時中木炭バスの時代から寝食を忘れて社業に専心、善良な管理義務をはたして内外共に問われる過ちは犯していない。
 そもそも仮処分とは『急迫する害悪によって生じる著しい不利不正を防止するのが目的なので、現時点ではその必要は認められぬ―と反論して、担当の臼杵勉判事は原告の仮処分申請を却下する決定を下した」

      (つづく)

2008年6月28日 (土)

新市政夜話

毛を吹いて大ケガ大分交通
隠せば掘られる世のならい

 ―別府市松原在住のミニコミ記者とのやりとりが起りで、大分交通社長のクビが危険にさらされたというのは、こりゃ当時は大事件ですね。
 「どこの土地でも、局地的に同業、同好の住民が固まって生活しているところがある。職業地理とでもいうのだろうか、別府浜脇は昔から芸人、一口演芸、演歌、漫談、曲芸、三味線、門付けなどプロが多く、この人たちは全国の盛り場に出かけていくので季節の移動がはげしい。また松原には西海印刷という老舗があったので機械方、文選、植字、画工、イラストなど印刷関連、ミニコミ従事者が多かった。」
 ―成るほど。そういえば固まっていますね。
 「別府市外でも大分南部、坂の市、大在あたりは建具、指物大工、今話題の中心、教職員の口入れ周旋、佐伯市は土工、建設、トンネル掘りの名人が輩出しておりこれは、レイ細農水業の出稼ぎ炭坑技術者が、持ち帰った特殊技能だが高名なマイト師(爆発物技術者)も多く、いまなら北朝鮮の寧辺みたいな感じだね」
 ―ワァーッ。原子力使ってトンネル掘りということですか。
 「まるきり荒唐無ケイではないのだよ。佐伯の沖合にある大入島は、本県水産資源の宝庫だが、このあたりからは、日本を代表する建設業者が出ている」
 ―ヘーエ。どんな人たちですか。
 「前に出た星野組副社長だった岡本初代観光協会長、白雲山荘社長だった故村上春蔵元参議(大和建設)らがそうだ。岡本忠夫ははじめ薬局につとめ独学で薬剤師試験にパスしたという好学の青年だった。
 そこに、実兄の門屋盛一(のち参議)が来て『いっしょにトンネルを掘ろう』と持ちかけたが断ったところ、表に引きずり出されてナグリ倒された。泣く泣く丹那トンネル掘削に従事、日本を代表するトンネル屋になった。」
 ―ところで松原のミニコミというのはどんな人物だったのですか。
 「この人は温厚な好々爺でイサカイを起すタイプではなかった。彼らミニコミ紙は不定期刊でも、広く深く官財界にくいこんでいてシンガイさせる大事件をよく掘出していた」
 ―当時のさしずめパパラッチですね。
 「報道は双方に細心の注意がいることは今でもおなじ。現在渦中の観光協会について記者が協会幹部に聞いていたら、一職員が『もうこのへんで…。これ以上は取材拒否も…』といった。市民は税の使途を知る権利がある。ここには公けにできぬナニかが存在したのかと、疑惑のカゲが急に濃くなった」
      (つづく)

2008年6月27日 (金)

新市政夜話

 ー一見なごやかなようだが、ランボーな話し方ですね。
 「別府市には一種のシキタリがある。特に古い商家の永年にわたる周囲とのつきあいは、社会生活の一つの軌範となっていた。いまの西法寺通りに{米屋}という古いノレンの旅館があった。主人の堀七衛社長は永年茶の湯の淡交会別府支部長(のち故佐藤文生代議士も務めた)をつとめ周囲のすべてが認める穏健派の代表であった。なにしろここにつとめた女中さんは、旅館従業員の最高水準をゆくキャリアとして、どこでも歓迎され、衆目から認められていた。それほど社員教育が行き届き、誇り高き経営をしていたのだ。」
 ―そんな風格あるホテル旅館は、いまはもうありませんね。
 「有名だった当時のホテルマンの代表としては、日名子の後藤、清風の黒木、杉乃井の長谷川、白菊の沢田、白雲の村上といった、ダークスーツのよく似合う高い水準の接客技術の持主がいて、その周到な物言い、動作ふるまいはいまの古参タレントのような老練さの代名詞となっていた」
 ―そういえば、近頃市内の有名ホテルの風格は、ひところとまったく様変りしましたね。
 「ホテル旅館業界の例にふれると、前出の米屋は毎年訪れるリピーター客には専任の女中がいて、旅館に入り、式台を通って自室に落ちつくと、ちゃんと着替えと足袋がそろえてあり、そのサイズはまるで誂えたようにピシャリ。一度宿泊すると専用の浴衣、足袋など肌につくものは、すべて係女中が洗濯して名札をつけて保存管理してあるからだ」
 ―ところで、このお話は、執行停止仮処分の荒業から脱線し、ちょっとのどかに聞える宮崎弁の“神代節”の底にある冷厳さから、別府の現代ホテル考と展開したが、大分交通の社長追及はどんな事情イキサツがあったのですか…。
 「これが又、舞台は別府のそれも油屋熊八公園の起工式だった。外遊から帰国したばかりの松岡社長も、観光関連産業代表の一人として出席していたが、ナニかのはずみで急にイサカイが生じた」
 ―どんな紛争ですか。
 「体力もかなり消耗していた松岡社長に、別府のある月刊誌の記者が、些細な質問をしたところイキナリ激高した社長は大声でド鳴り出した。なるほど対手は、眇たるミニコミ紙だが、主人公は大分県を代表する本県資本の公共交通機関の長である。経営者不適格との声が俄かに高まってきた」
      (つづき)

2008年6月26日 (木)

新市政夜話

ドゲンカしたい地域性
お客さんと別府っ子の関係

 ―ところで観光協会問題は、協会補助金の不適切会計疑惑から、会長人事と発展をつづけ、こんどは会長代行の職務権限執行停止の訴訟に発展しましたね。
 「ちかごろ裁判沙汰がふえてきた。時代の変化か私たちの周辺にも係争やら衝突が次々と発生しているが、執行停止の仮処分というのはかなりの{荒技}なので、めったに使わず。私が法廷でみたのは50数年前の、大分交通の代表取締役社長松岡能秀に対する北九州方面の株主の申立があったときだけだ」
 ―なんとも古い話になりましたね。当時はそれだけ社会も温和で、いまみたいに地域交流もない、まわりはみんな顔みしりだったせいもあるでしょう。
 「本県は戦前から政党活動がさかんで大物政治家が大勢出ていて、地元でトラブルが発生しても、センセイが東京から帰郷するなり、腹心を通じての働きかけがあって、大事に到ることなく解決していた」
 ―その点ちかごろは、お説のような{大物}がいなくなって、とかくギスギスする感じですね。
 「大物の存在だけでなく、特に別府ッ子の間では暗黙の価値観があって、事が表沙汰となり世間の風評となることを恥じる気風が強かった」
 ―そういえばお隣りの宮崎県では、本県の大銀に当る宮崎銀行の頭取が東京出張中に取締役会でクビになったり、県知事が業者からスッパ抜きで失脚する荒らさがありました。
 「宮崎弁はテンポと抑揚でとてもノドかに聞える。私もかつて、宮崎の会議に出ていて、たまたま雑談で、珍しかったので国道沿線にあるススキのような植物の名を聞いた。答えを聞いて腰が抜けるほど驚いたことがある」
 ―ヘーエ。一体どんな答えだったのですか。
 「なんと相手は、宮崎市でも相当な地位にある人だったが
 『あの植物はパンパスグラスといって、南米直輸入です。独特の姿と、たくましい成長力で眼をひいています。最近は大分から始終やってきて盗んで帰る者がふえました』
 とよそごとのようにに淡々というのだ。知事さんが変わって、いまはドゲンカセントいかんですーとでもいうのだろうが、私たちがその大分からはるばる出席しているとわかっているのにアンマリではないかと感じた。大分には、イヤすくなくとも別府にはこんなアラカマしい語法やマナーはない」
      (つづく)

2008年6月25日 (水)

新市政夜話

視線集める現ナマの周辺 
お客さんには見せられぬ

―ところで別府はいま、会議所会頭に就任した観光協会長のポストをめぐって、裁判沙汰にまで発展、にぎやかになってきましたね。
 「あいつがやればオレもやるといった傷つけあいの連鎖―こんな奇妙な風潮が続いている。マフィアの国ではあるまいし、商業者の団体である会議所や観光協会が、どれだけ角つきあっていても、話しあいで解決する前例をつくらねば、別府全体のマイナスイメージは好転しない」
 ―そういわれると、ちょっとオトナ気がなさすぎる感じですね。
 「そもそも今回の騒ぎは、大型スーパーのゆめタウン進出をめぐるビルの先物買いが起りだ。泉都経済のリーダーが、交通量の爆発的増加に対処するため、将来道路拡幅のため立退きを予想される会議所の(実際に立退きだけは実現したが)近接ビルを秘かに買っていたからだ」
 ―アレにはこちらもびっくり仰天しましたね。
 「これにはゆめタウン受け入れを拒む有志議員がハラを立て、裁判の申立をして、やり直し選挙となって津末ー間島ラインは退陣した。津末会頭本人はアッサリ退陣したけれど、高松新会頭は2期目にむけ、女性副会頭の選任を引受けたとされながら実行しなかったと、残った火種はイブリ出した」
 ―女性役員の問題から出発して、いつのまにか会頭のイスそのものが争われる顛末は、不思議といえば不思議ですね。
 「高松弾がいの火の手は、副会頭人事が起こりなのに女性リーダ登用を果さないという批判は、いつのまにかそのホコ先が移り、会頭職そのものにスリかえられた」
 ―そういえば、不思議な変化でしたね。
 「このとき別府商工会議所は3億円を超える資産を売却して、旧NTT庁舎に仮住居をしていた。膨大な売却資金を金庫に入れたまま、その真意も定かでない人事問題批判に対するイヤ気がさしたのか、次期会頭に千寿観光協会長の呼び声が出ると、サッサと退陣してしまった。こんな交代劇は開所いらいの珍事だ」
 ―あの時は、大向うもアッといいましたね。
 「これより先別府市観光協会は、年額1億5千万円にのぼる巨額な補助金収入を抱える社団に変わっていた。《受益者負担》の約束で出発したが、会費収入にあえぎ続けた観光協会なのだ。そして3億円を超える現金を金庫に入れた商工会議所、これらカネの集まる場所に、大衆の視線が集中するのは当然で、この交代劇全体がキナ臭い感じがしだした」
      (つづく)

2008年6月24日 (火)

新市政夜話

商売ヘタの愛国の士 
カゲの私生活でも市民は採点

 ―当時の別府は、いろんな旅館の団体があったが、それでも表面化した騒ぎは残っていませんね
 「別府全体が好景気に沸き返ったときだが、それでも受益者負担の原則の方はうまくいかなかった。岡本会長は戦時中実兄の門屋盛一と星野組を苦心しながら経営、終戦時は佐世保鎮守府の建設関係を一手に請け負って私財も残したが、生来淡泊な気質の持主なので一代で散逸してしまった」
 ―大分春日浦の旧県営球場や、別府の市営テニスコートの建設をして、そのまま全額寄付したといわれていますね。
 「当時の別府は、占領軍キャンプの建設工事の直後で業界もブームだった。復興特需という部類だね。別府の地獄は、地質や地球の構造、湧出する化学成分の実験に便利なので小中学生の科学教材として大切にされ、税法上の特典も認められたころだ。岡本会長は本業のホテル経営に全力をあげ、昭和天皇の戦後の初行幸を無上の光栄と受け止める忠君愛国の士だったが、残念ながら商売の方は“水を得た魚”のようにはいかなかった。しかし地域貢献の点では声価が高かった」
 ―接客業の“水商売”が肌に合わなかったのでしょうね。
 「自民党支部長、旅館組合長、観光協会長といった当時の栄爵を一人じめした観があった人だが、前出の地域貢献がプラスに働いた。その後、平成20年の今日まで友永元会頭を除いて、カネ放れの美しいという評価を受けたものはいない」
 ―そういえば、商工業界でも大モノは出ていませんね。
 「庶民の人気は、公共に対するキレ味できまる。ついで家庭の問題が酌量される。大金をハタいても、夜の素行が悪かったり、家庭にモメ事が絶えないとマイナスイメージになる。このあたりの採点はキビしいと定評の、内閣賞勲局なみだね。もっともちかごろ勲章の評判がかなり下落しているが、このあたりに重要な判定の基準がある」
 ―別府はもともと柳暗花明というか、夜の商売で繁盛したところですが、それでも私人の行状はそんなにキビしいもんですかね。
 「そこが人間社会の微妙なところで、欧州では愛人カンケイを否定すると“複数の仕事を一度で片づけることができない部類”といわれる。イスラムは、4人までの妻妾同居は当然だが、我が国では天皇家がお手本で近代化と共にキビしくなった」
       つづく

2008年6月23日 (月)

新市政夜話

戦乱特需が好況の引金 
キレイと評判の岡本初代会長

 ―当時の別府はこのブームに湧き返ったそうですね
 「日本人の特質として、昔から{旅は道づれ世は情け}といって一人で休みを楽しんだり、家族だけの旅行は好まないという奇妙な志向があった。ひとり長期の休暇を楽しむ西欧型バカンスや、親子ケン族がそろって平安を喜ぶ中国式のレジャーとは、大きくカケ離れた、稼ぎ手中心の仕事関係の団体がまず動きだした。この歴史は江戸時代に起った{お伊勢さん}まいりに原型があるようだが、まず農閑期にどっと繰り出したのが、昔陸軍いま農協とうたわれたお百姓さんの団体、農村観光団だ。」
 ―ちかごろのJAの活動とはちょいと違った趣きですね
 「60年代にピークを迎えた別府の大衆観光時代は、江戸時代のお伊勢まいり、ええじゃないか―のおかげ参りを思わせた。お陰まいりは、幕末まで続いた大衆行動で、「ええじゃないか」の掛声につられて江戸の町民、丁稚も番頭もついには店主も女房も商売を投げ出して家をとびだし、全住民が狂ったように着のみ着のまま掛け声かけて伊勢参宮の群れに参加する奇怪な現象で60~70年周期で発生した。圧制に苦しんだ市民大衆が暴発する世紀末現象だがこの間、豪商、富豪の大店(おおたな)は商売を休んで、軒先に湯茶、炊出しのにぎり飯を出して大衆の打ちこわしをなだめるのに腐心した」
 ―ヘーエ。そんな奇妙な歴史もあったのですか。
 「別府の週末に入ってくる臨時列車は、一度に7・8両も続いたものだ。鉄道ダイヤは大分鉄道管理局の専門家が北浜の花菱を定宿にして、連日別府につめていた。観光ブームの兆しは、目に見えてきた。脇鉄一当時市長はこの好況を見越して、観光協会の創立を
けいかくした。金銭に淡白と評判の風本忠夫日名子ホテル社長と慎重にヒザ詰め談判を行ってまず{行政補完、受益者負担}の原則を切りだした。それまで別府の900軒近い宿泊設備をまとめていたのは、流川通り長崎屋の佐藤福治組合長だった。当時28軒あった特級ホテル旅館は主流ではなかったのだ。このとき上月大八郎(のち市議長)は、佐藤旅館連組合長に与える公開状を新聞紙上に公表した。時代を説き先輩をたてる周到な配慮、叙述の巧みさで、大向うを唸らせた。」
 ―なるほど、このあたりが、別府の好況期だった当時と、まわりを傷つけ合ってやまぬ今のマイナスの連鎖との違いですね。
      (つづく)

2008年6月21日 (土)

新市政夜話

 「きょうは久方ぶり、市政夜話の筆をとり、いま市民の関心の焦点にある別府市観光協会にふれて、そのそもそもの創立から、今日まで50年を越える歴史をふりかえってみることにした」
 ―前回この欄で、別府商工会議所の選挙にからんで、激突のシコリから、海地獄の市有地沼賃貸問題が出ました。当時の高橋地獄組合長と、市会議員の対立から劇的な展開をとげ、しまいは上月大八郎当時議長らの努力で、解決するクダリまで行きましたね。
 「この組合は任意団体で、会員の資格は非常に不安定だ。ある日突然に解散して翌日ニューメンバーで結成するということもしばしばあった。南アのダイヤモンド会社みたいなもので、会議を提案するトップは組合員の生殺与奪の権利を握っていることになる。すぐれた識見とおだやかな人格が求められる。」
 ―いまの騒ぎに出てくる人物像も、千寿組合長はじめ、議長の長男上月敬一郎旅館組合長、当時会頭の孫の西田白菊社長らという具合に、つながりが2代3代にわたって、役柄は変わっても、人物は変わらない点、別府は昔ながらの、変わらない土地柄だナーと思いました。
 「親から子へ、子から孫へと人は変わっても構図と家系は恐ろしいほど似通った点があり、このあたりに泉都の歴史の特殊性とつながりがあるのかも知れない。しかし、この変わらぬつながりと正反対に、ガラリと様相の変わった点もある。先日から続いてきた商工会議所の、会頭職務の執行を停止する裁判騒ぎがそれだ。中心となっているキーマンの存在も語らねばならないが、まず順序から脇鉄一市長時代につくられた観光協会の生立ちからはじめよう」
 ―昭和20年代後半の別府は、私たちには想像もできませんが、大戦終結後の復興期に生れたワケですね。
 「我が国の復興は、昭和25年の朝鮮動乱をキッカケに加速度的に進んだ。北朝鮮軍から韓国最南端の釜山まで追いつめられた韓国軍が、反攻に転じたときには厖大な戦争物資動員の調達が九州を中心に行われた。食料、物資の極端な欠乏状態の中から、マッカーサー元帥率いるGHQ(連合軍司令部)は、当時の日本にあったすべての物資、人的資源をこの戦時特需にぶち込んだ。この効果はたちまちその日暮らしのドン底の国民経済をうるおして、急激にやってきたのが、平成初期まで続いた大衆観光時代だ」 
       (つづく)

2008年4月 7日 (月)

例会は10階で

 アメリカ映画のチャールトン・ヘストンが死んだというニュースがTVで流れた。ケイケイたる眼光、見事なワシ鼻に加えて筋骨隆々の偉丈夫で、黙って立つだけで絵になる名優だった。
 ローマ帝国を舞台の「ベンハー」は、当時最高の資本を投じて最高の売り上げだったそうで、核戦争後を象徴した「猿の惑星」も有名。ちかごろ北浜三泉閣からアーサーに、会場を移したライオンズに出席するたびに、いつもこの世紀のスターを連想するので不思議に思っていたが、やっと判った。
 例会場に入るのにはエレベーターで10階(名画「十戎」は56年作)と告げねばならないからだ。

2008年1月25日 (金)

新市政夜話

  ーたったひとつのポストをめぐって30数人が、目の色変えるのが議長選挙、それだけに一日でも永くと思うのでしょうね。
 「交代となるとサッカーでいうと最初の2年、つまりファーストハーフの期限になると、いろんな理屈をつけて、これまでしばしば交代を遅らせたものだ。」
 ―人間いよいよとなると、どうしてもこの傾向がありますね。
 「名利にとらわれず、淡々と交代をした議長、そのイサぎよさから上月の評判は上昇した。就任が市長の脇屋と同年の50年5月で、新市長を助けて、市職労組と対決したのも有名だ。組合デモにすわり込まれて議長室にカンズメとなり、トイレにも行けなくて、観葉植物の植木鉢で用を足したというくらい当時の市職は戦闘的だった。」
 ―あのときは、13万市民がいっせいに、市政に注目しましたね。
 「市職が市会議長をカンキンしたと聞いて市民側も危機感を抱いて、自治委員やPTAも含めていっせいに市役所に押しかけて組合と張りあうこともあった。
 きのうもいったように、2年交代の議長の任期がきたらアッというまに、辞表を提出したのがその上月だった。それはまるで熱いモノでもつかんだみたいに受取られた」
 ―それが名利にとらわれぬテンタンさと受取られたワケですね。
 「上月は昭和22年就任した12代議長垣迫と佐藤福治の交代劇をつぶさにみている。このとき先発の垣迫がナンと3年8ケ月居据わりつづけ、佐藤がセカンドハーフを引継いだのは25年11月から26年1月の最終議会まで僅かに3ケ月しかなかった」
     (つづく)

2008年1月24日 (木)

新市政夜話

 ―狙われた地獄組合がそんな状況の中で用心堅固でいながら、なおかつ大塚発言で最も痛いところをつかれたのはナゼでしょう。
 「別府市政が布かれ、現在の規模となったのは大正13年の町村合併からだが、それまで別府の地獄地帯は朝日村に属していた。その朝日村から引き継いだ別府市は、海地獄入口の池沼の市有水面を賃貸借契約で貸付けた。大正の終り昭和初頭の貨幣価値から考えてみるまでもなく、戦後の大衆観光時代の到来で契約の予測収支の開きはバク大なものになっていた。そこに着目した大塚爆弾には大向うは『アッ』といったか、それよりもこれほどの大問題が昭和26年から52年まで26年間にわたってズルズルと延引してきたというのはナゼだろうか」
 ―大正末期の契約を30年も引延ばし、これが議会で追及されて、それでなお解決できなかったとは不思議ですね。
 「民間の商習慣では考えられない非能率だね。ひとくちに20年というが、社会通念からすると人間の一代は大体このくらいだ。市長の脇鉄一時代に表面化し、それが荒金の全任期を通じて解決できず、脇屋長可の時代に入りやっとカタがついた。それも上月大八郎というインテリ議長が出現したのがキッカケだ」
 ―上月議長は歴代別府市会議長のうちでも“名議長”という評価をされているが、こんなところにその理由があったのですか。
 「別府市議会は戦後2年交代制が主流になった。12代、垣迫杉太のときから現在まで、4年間の任期を2人の議員がつとめている。」

    (つづく)

2008年1月23日 (水)

新市政夜話

 ―きのうは、地獄めぐりはその根本に、勧善懲悪の仏教の教えがあるというお話でした。その代表格の海地獄が、会議所選挙の飛ばっちりで、別府市との市有地貸借契約の更改を求められることに発展したワケですね。
 「戦後の地獄経営、その中心には亀の井バスが独占している定期観光コースがあり、これが利権化して幾度か騒動となったことがある」
 ―そういえば、かつて亀の井バスの会社の前に、地獄めぐり、亀の井バスお断りの立て看板が出て、一体なにごとだろうか―と、北浜界隈は驚いたことがあります。
 「地獄めぐりの権益の基本は、つまり参加各地獄の収入は、バス共通券の収入を一定歩率で分配するワケだが、その歩合の更改をめぐって、はげしい争奪戦が行われた。これを束ねて長年君臨したのは海地獄の高橋万吉だったが、海地獄の所有者は別にいて、それが現組合長の千寿家だ。
 ―千寿家の先代、松子夫人は県市の要所に広く深いつながりを持ち、しかも気取らず平民的でとても評判のいい方でしたね。
 「地獄組合は次第にその形態が変ってきたが、その基本の組合の運営は所有者でなく、経営の衝に当る者、つまり番頭たち個人のつながりにポイントという面が強かった。資本主義社会の中にあって、所有者よりも、その被使用者の経営者に実権があるという不思議な構造であったが、それだけに外部の圧力には敏感に対応、問題が生じても間髪を容れずに解決したものだ」
 ―そんな状況の中にいながら、大塚攻撃で最も痛いところをつかれたのはナゼでしょう。

2008年1月22日 (火)

新市政夜話

 ―最近別府は修学旅行がドカ減りだが、韓国の小、中学校が増えたと春香苑の木村ママさん(別府商議・別府RC前幹事)にきいたのですが。
 「ことしに入って毎週のように、韓国から修学旅行団がしきりとやってくるそうだ。それも高校生じゃなく、小中学校生。韓国青少年の向学心は、モノすごく、平日も中学生は毎晩9時ごろまで、教室で受験準備をして列をつくって下校する。日本は“ゆとり”教育といって、土日曜いがいに3連休、4連休とズルけ放題だ。韓国経済の好況もさることながら、この修学旅行施策に年少者の受験過熱や、ガリ勉の弊を警戒する同国教育界の見識、視野の拡大をはかる姿勢に舌をまいた」
 ―我が国でも大都市の女子高校や短大生の海外旅行が話題となったが、修学旅行の形態もサマ変りしましたね。戦後の一時期、別府市の地獄めぐりは脚光を浴びたものですがね。
 「地獄、極楽の教えはいま死語になっているが、仏教を下地に善因善果、悪因悪果、因果応報、ウソはドロボーのはじまりとは、よくきかされた。悪行を重ねると地獄に落ちる。善行を積めば極楽浄土の蓮の花をいつもながめて日が送れる。君に忠、親に孝は人間のふむべき道の第一歩じゃ。ナニ君とは?君とは天皇陛下のことで現人神(あらひとがみ)、なぜ孝行?教育勅語にそう書いてある―といった道徳律を朝晩聞かされて大人になったころは金属バットで両親を負いかけるような子供はいなかった」
 ―なるほど、地獄から金属バットへのつながり移り代わりが判りました。

      (つづく)

2008年1月21日 (月)

新市政夜話

 ―先週は、会議所会頭選挙の投票券に、ナンバーリングで一連番号をつけた。つまり背番号つき投票をやって、事務当局はガンとして再点検に応じなかったというお話でした。今の時代では考えられませんね。
 「ちかごろは各地で選挙無効の裁判があり、裁判所の判断で再選挙あるいは当落に影響のない過誤の争い―などという判決が出される。しかしこの背番号は、投票結果はあくまでも“秘密”と考えて、何も知らずに投票した人たちと結果は必ず誰かに明らかになることを知っていた派の間には、公正を欠く不当性がある。このときも行くところまで行けば、選挙無効の結果が出たに違いない」
 ―自らの信ずるところを公開の場で論議するのが公職者。バックには支持した業界会員の支持もあったに違いないがよくこれで納まりましたね。
 「そこが公職といっても、公務員法の規制をうける公職者と、経済団体の違いだね。若手の宇都宮秀綱は議会多数派の流れに添って、一度は選挙無効を叫んだが、まもなく補欠選挙があり、保守系主流派の栗山吉二と対決して当選をした。この補欠選挙では宇都宮は重光総裁の縁で改進党の推せんを受けて、3議席だった同党は4人となった」
 ―そんな事情で、大塚熊喜さんの海地獄追求が、効果をあげたワケですね。
 「地獄めぐりは、海地獄のコバルト泉の紺青、血の池、酸化鉄系の朱泥、白池の白灰色、高熱噴気とワニを配した鬼山など地底のマグマから派生した微量元素のつくる景観が売りもの。珍しいカラーバランス、これら地球物理から生まれた自然現象ということで、日本全国の小中学校生の修学旅行の寵児となった」
     (つづく)

2008年1月19日 (土)

新市政夜話

 ―大塚さんが、副議長をつとめたのは、昭和30年、上月さんが議長をしたのは50年代。解決に20年もかかったのですね。
 「このときの会頭選は、前回もいったように、西田派は絶対不敗の陣を布き、会頭選挙の投票用紙に、ナンバリングで一連番号をつけるというウルトラCをつかった」
 ―ナンバーつき投票用紙といえば、まるでロトですね。
 「ロトはその番号で後日当選がきまる仕組みだが、投票用紙の番号は、結果的に投票者と候補者の関係が一目でわかる仕組み。果せるかな。投票が終って『どうも不思議だ。ナンバーがあった』といいだしてケンケンゴウゴウの騒ぎになった」
 ―そりゃそうだ。
 「選挙というのは、自由、公正が建前で、支持の行方はゼッタイに秘密が保たれるのが原則だ。投票結果が発表されて、ナンバリングが話題になっても、事務当局は、自由選挙の原則をタテに、投票用紙を公開することはついになかった」
 ―今なら考えられないことですけれどね。
 「当時の専務理事は牧鉄夫、事務局長は畦津章一で「ナンバリングは投票総数の確認のためにやったことで、決して他意はない。再点検は会頭派、反対派いずれにも悪影響があるのでやらない」と突っ張り、ついにヤミに葬られることになった」
 ―事務当局もなかなかの硬骨ぞろいというわけですね。
 「若手市議の街頭演説が、宇都宮秀綱(このときは一市民。この年10月補欠選挙で市会議員当選)らによってはじめられたが、中立の事務局のいいぶんが、通ったのと、関西汽船にからむ問題発言に対する議会の自粛でこの騒ぎはひとまず沈静化した」  (つづく)

2008年1月18日 (金)

新市政夜話

 ―このころの別府市議会の勢力分布をみると、36人の議員のうち、共産党1人、改進党3人、残る32人の保守系のうちに唯一、甲斐コウメ議員が女性議員第一号でした。
 「改進党は僅かに3人だったが、大塚議員の下に亀川から高橋直利、いま中央町の中央市場を足がかりに斉藤一二三がいた。大塚は本県政党史に残る護憲3派運動を体験している古い党人だけにいっせいに周囲は注目した」
 ー会議所からはじまった争いは全市的な混乱に発展したワケですね。
 「この前年同党の高橋は年度末の予算繰りについて、僅かに1分間の質問をしただけで、全議事がストップ、当局は全面的に予算案を訂正して再提案するという事態が起こった。内容は繰越公共工事の年度更新が正しく行われていなかっただけのことだが、国庫補助のついた事業であり大騒動になった」
 ―なるほど、僅か3人の改進党に32人の圧倒多数を誇る与党はキリキリ舞いというわけですね。
 「中でも大塚は、いつも和服でニコニコしている好々爺だったが、戦後の混乱期、別府で暴れまわった第3国人の“青鬼”の異名に対して、流川の“赤鬼”といわれたスゴ味を漂わせていた。その大塚が年度末の予算市会で放った爆弾は、以後エンエンと跡を引いた。いつもニコニコした赤ら顔の持ち主で、決して大声を発することはなかったが、一度ウンといって引受けたら、あくまでヤリ遂げる根性の鬼。それだけに多数派からケムたがられた存在だった」
 ―市議会保守系の多数派がついた高橋に対し、海地獄に食いついたのは少数派、こんな大事になるとは意外ですね。
「やっと市有池沼売買が成立してカタがついたのは、鬼山ホテル社長の上月敬一郎の父、大八郎が市議長のときだった。」
     (つづく)

2008年1月17日 (木)

新市政夜話

 ―定期航路の水の手をとめるというのは暴論ですね。この直後に別府では、大分トキハの進出をめぐって市会議員リコールも起きましたね。
{私たちが会議所人事の動静に注目するのは、この公益委員の去就に重点があることは、長年のこうした生活習慣、コンプライアンス、一般的な社会正義への認識が基礎にあるからだ。さてそこで前出の西田登場の選挙のときは、一挙に10人を超える地獄組合員が議員に名乗りをあげた。組合長高橋万吉以下が西田を支持して僅差で当選した。
 この反動はキビしいものがあった。その上、副会頭をめぐる人事が発端だった」
 ―副会頭人事がコジれて火を噴くのは今回も同じようなケースといえますね。
 「今回の場合と大きなちがいは、これがキッカケで、海地獄入口の市有池沼の所有権に飛び火したことだ」
 ―あんなところに、別府市が所有する市有地があったのですか…。
 「海地獄の景観は、構内のコバルト泉の澄明で紺青の色合いに中心があるというものの、その規模を支えて“海”のイメージを漂わせているのは、正面入口から右手一帯の池沼部分の広がりだ。大鬼蓮を浮かべて、毎年シーズンには子供を乗せて、地獄めぐりの中心となっていたこの部分の賃貸借契約を破棄して別府市に返還させるか、収益に見合う相応の値上げをせよ―と主張したのは、当時の改進党所属議員だった大塚熊喜だった」
 ―ヤブから棒のようなこの問題が、今度の副会頭選任とどのように関係があったのですか。
 「大塚熊喜は、同じ改進党の党人であった大橋智を副会頭にせよ―と強く主張していた。ところがこの推せんは成立しなかったので、市議会副議長でもあった大塚は火のように怒った」 (つづく)

2008年1月16日 (水)

新市政夜話

  ―昨年、別府市初の梅野女性福会頭の選任以来ギクシャクしていた会議所人事は高松会頭の退陣声明で、一応の決着がついた感じですね。
 「ここは難しい問題だね。梅野人事について事後の、会頭発言がもめたがこの歯切れの悪さには、自らの立場を取り巻くモヤモヤのなかで、この人事の約束は公私の混同だという個人的な判断があったのだろう」
 ―それにしても、目まぐるしい展開でしたね。
 「ところで今頃この会頭人事をこの欄で取り上げるのはなぜか。不思議に思った読者もいると思うが、実はこの問題は平成18年10月、1年4カ月前に『市政夜話』で一部、取上げている。『因果はめぐる小車の』の古語どうり、50年前の混乱をもう一度見ているここちだね。
 昭和27年に行われた会頭選挙は、県会副議長までつとめた西田熊太郎と、大分みらいの前身、別信理事長高橋豊之進がガップリ四つに組んだ大相撲だった。不敗を期す西田に対し、高橋には市議会主流派の永井正、堀泰次郎らが後押しをして周囲は固唾をのんで見守った」
 ―こりゃなかなかの見物だったでしょうね。
 「この時市会派は、目を皿にして全商議の向背に注目をし、リキみすぎた堀らは『公益代表議員たる関西汽船が、一方に偏したことは許されん。関西汽船には別府市は、給水など各種の便宜を図っている。以後、定期船航路への給水は検討をしなおすべきだ』とイキリたったので物議をかもした」
 ―激情の赴くところ、勇み足はつきものですが、別府は名にしおう国際観光文化都市ということで、その影響は大きかったことでしょう。
 「国際法や、航海公法では、船舶に対する救護、薪水の補給は最優先に規定されているくらいだからね。」
     (つづく)