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No302 朝見物語

児童の考え生かした授業
約説的教育実践した河野三五郎 吉良・高田校長の下で活躍

0808o362  河野(こうの)三五郎は明治17年9月5日、西庄内の造り酒屋生野家に生まれ、のち湯布院の河野家の養子となった。
 元南小校長の恒松栖別府大学短大部教授の論文(「別府における『約説的教育』誕生の一考察」)によると、検定で教員となり、大分郡東庄内尋常小学校准訓導、西及び別保尋常小学校訓導などをつとめ、大正2年から昭和11年にかけ南小学校に在籍。主席訓導(教頭)になったあと、昭和11年から13年6月まで、湯布院の綿陰(めんいん)尋常小学校=現在の由布院小=の校長をつとめた。
 昭和40年1月5日に他界している。
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 恒松教授によると、当時の南小は第13代の吉良荒太校長(大正4年7月―9年1月)が「約説的教育」(「個体発生は系統発生を繰り返す」という「約説原理」を応用した教育理論)を提唱し、教育実践の実を上げていた。続く第14代高田亀市校長(大正9年4月―昭和8年4月)がその「約説的教育」を完成させていった。2人の校長の下で、中心的実践者だったのが河野訓導。
 その算術教育の特徴は、段階を追った丁寧な指導のほか、最終的には教師が主導するものの児童の考えを生かした問題解決的な授業の進め方、問題を作図によって解いたことなど。
 恒松教授は「もっと河野三五郎先生の業績が評価されてもよいのでは」と話している。
  ◇  ◇  ◇  
 掲載した写真は3冊の著書で、「私の算術教育」(昭和2年、文教書院)、「私の算術作図研究」(昭和4年、同)、受験生のための問題集「算術補充問題集」(昭和3年)。
 もう1枚の写真は佐藤嘉一さん所蔵のもので、明治36年9月28日「大分県共立教育会第二回正教員講習会修了生」と題した写真の一部。佐藤さんによると、当時は代用教員をしながら講習を受けて資格を取得することが多かったという。

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