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No303 朝見物語

高女合格率は抜群
河野三五郎在籍時の南小 大阪の資産家令嬢も学ぶ

0810o25  大正から昭和初期にかけて南小の算術教育黄金時代を築いた河野三五郎自身が、当時を振り返った「全国的に名声轟かした南小学校の算数教育」(昭和35年「南小学校同窓会誌―八十年の歩み」所収)は、読む者をワクワクさせるような文章。
 まず、教師本位ではなく児童本位の教育刷新に邁進した、自らの教育者としての歩みを高らかに記している。
 「児童の生活そのものと実地に取り組んで作為する実際の教育こそ壇上の教師に与えられた責務である。私はこうした信念のもとに南校に於て約説原理を基調として『約説的教育主義』を打ち立て之を算数教育の上に断行し、従来行われていた結込(引用者注・詰込の誤りか)主義の教師本位の教育を打破して児童本位の算数教育刷新に邁進した」。
 連日の参観者の様子については、「学校参観の先生方が日本全国から沢山毎日押しかけ時々教室にも廊下にも黒山をきづく日もあった」。
 児童の学習活動も頗る活発で、「燃ゆるが如き児童の求知欲、赤裸なる自発活動、旺盛なる自己表現、真剣なる論究討議によって如何なる難問題と雖たちどころに一人の落伍者もなく面白くたやすく歓喜的学習のうちに解決する」といった雰囲気。
 さらに「そして其の論究討議の中に必然的に児童自ら壇上にとび出し黒板上に作図を展開し、日本の鞭をもって問題と立式の数理関係を実測的に且つ具体的に立証し、たなそこの上に指すが如くにあざやかに解明かすこうした学習のしかただから子供の実力が増進するのも当然のことである」とある。
0810o2   ◇  ◇  ◇  
 かつての別府中心部では男子は北小、女子は南小と区別されていた。南小の高等女学校受験合格率は「殆ど全部がパスする百パーセントの合格率」で、抜群だった。
 わざわざ大阪から別府に来て南小で学ぶ人まであったことを、「大阪の大資産家清水信次郎さんは別府の南小学校の名声をきいて令嬢増倉久子さんを高女入学準備のため大阪の天王寺小学校からわざわざ南校に転校させて来ました。久子さんは母と共に亀の井ホテルに居って一年間南校に通いました」と記している。卒業記念に同小に贈られたピアノは今も残っている。
 河野が各地の講習会に招かれて講演をしたことはすでに紹介したが、昭和6年8月1日東京都主催の夏期教員講習会は特に印象深かったようだ。大会場に何千人もの聴衆がいて「之は一体私の夢ではなかろうか?私如き九州の田舎者が、しかも小学校の一教員が!」と大いに感激したようだ。

コメント

南小,第一高女合格の写真に今は無き
85年前の姉(写真上段左より二人目
育子)を見かけ、感無量です。 尚,河野
先生は、昭和13年私が一時期受験勉強をしながら湯布院小学校の訓導をしていた時の校長でもあり、懐かしく、小野記者さんに感謝で一杯です。                                                             

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