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No432 文学散歩

浜脇との中間に桟橋を
大正4年『別府温泉』より提言集 入湯で病癒した溝部洋六

0216o3  大正4年『別府温泉』には別府発展のための提言も収録されている。
 その1人で大分市出身の溝部洋六(当時海軍少佐)は「予の別府観―別府よ、汝は吾半生の恩人なり」を認めた。一時病気のために休職していたが、別府温泉のおかげで恢復したことに感謝しながら、多くの提言(このうち同書は9項目掲載)をしている。
  ◇  ◇  ◇  
 1つは世界の別府を目指せということ。2つめは公衆浴場を清潔にし湯の加減を適当にすること。3つ目は泉源の数を制限することで、「私人のツキ湯に課税し其の数を制限すべし」と述べている。
 4つ目は大公園とともに各所に小公園を設置すること。そのために「宅地と庭園と半分々々にあらざれば家屋の建設を許可せざる事」とかなり強引な施策を提案している。
 5つ目が温泉神社の創設と、祭りの挙行。実際、同神社は大正8年にでき(建物は明治40年に建てられた当時の皇太子行啓の休憩所)、本格的な温泉祭が昭和6年から開催されるようになった。
 6つ目が海岸砂湯の保存。7つ目はまだなかったさんばし(大正5年に木造でさんばしができる)の設置だが、「別府港と浜脇との中間に」作ることを提案している。
 その他8つ目は水道の完備、9つ目が市区改正実行だった。
0216o3_2   ◇  ◇  ◇  
 ※大正6年「大分県人名辞書」に記載されている経歴は次のとおり。
 「溝部洋六(大分市 在県外)少壮有為の海軍士官也。大分中学四年修業中選抜試験に応じて海軍兵学校に入学し、三十四年優等卒業、恩賜の光栄を荷ふ。日露の役、吾妻分隊長として日本海海戦に偉勲を樹て、勲五等功五級に敍せられ、三十九年海軍砲術練習所を優等にて卒業、銀時計を拝受す。四十一年疾を得て休職となり、四十四年復職、大正元年少佐に進級、二年海軍大学校甲種学生を仰付られ、三年優等卒業(第一席)恩賜の長剣を拝受せり。如今中佐に任官、其人物将来の将軍を以て期待せらる。明治十四年生(夫人千代子は愛媛県の富豪故佐々木長治の女也。)」

コメント

大森さん初めまして
郷土大分の逸材「溝部洋六氏」について研究している者です。若くして亡くなられた洋六氏を世に出してやりたいです。
何でも良いので教えて下さいませ。
コメントには表示されていませんが、メールアドレスも入れています。今日新聞の担当者に聞いて下さい。
とにかく貴方様と連絡をとりたいです。どうぞ、宜しくお願いします。

no.571
に掲載されている文章・・夫人千代子は愛媛の富豪佐々木長治の女なり・・・は間違いです。千代子は私の父佐々木長治の姉で、私の伯母です。
訂正御願いします。

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