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No442 文学散歩

夫婦喧嘩で友人宅へ逃亡
佐治さん語る虎次の思い出 戦後銀座裏で転々と飲み屋

0229o3  戦後まもない頃の山市虎次について、佐治スズコさん(78)=市内元町=が思い出を語ってくれた。銀座裏あたりで、小さな飲み屋を開いていて、3番目に移った先が山市千代が後に夫婦善哉の店を開いた場所(現在は食堂の一二三)だったという。
 「最初は松尾歯科の隣あたり、次が二宮酒舗の向かいの角で飲み屋をした。開店してもお客さんが少ないので、お客さんになってくれないかというので家族で行ったことを覚えている。カウンター式で、旦那さん(虎次のこと)が天ぷらをあげていた。3番目が一二三のところで、奥さん(千代のこと)はそこから頑張っていた。それまでは旦那さんが中心だった」。佐治さんは昭和24年に結婚して小倉に行ったので、それまでのことだという。
 山市夫婦は派手なけんかをしていたが、虎次の逃げていく先が、佐治さんの生家(貸間の宮本荘)に住んでいた小野伍郎さんの所だった。「夫婦げんかすると、転がり込んできていた。戻ろうとしないので、小野さんが奥さんの様子を代わりに偵察に行ったりした」。
  ◇  ◇  ◇  
0229o3_2  ところで、小野さんは浄瑠璃大会の裏方をした人物。佐治さんによると、奥さんのマルヱさんが全盲で、浄瑠璃の先生だった。建て替える前(昭和13年改築)の竹瓦温泉2階の北側に住んでいて、温泉の管理人をしていた。満州に行ったが、奥さんが亡くなって、1人で引き上げてきて、宮本荘の地下に住んだ。
 とても器用な人物で、何でも自分で作った。「字も上手に書くし、浄瑠璃の広告や看板、緞帳まで作った。縫ったりはできないから、うまく貼り付けた。裃も作った」。「昔、奥さんに教わっていたご隠居たちを集めて、竹瓦温泉2階で浄瑠璃大会を催した。四国のお金持ちの隠居たちが舞台に出たいと集まった」という。
  ◇  ◇  ◇  
 宮本荘はもともと昭和4年開業の「入湯貸間宮本」。戦後は10家族くらいが住んで、だれとなく宮本荘と呼ぶようになった。「1階、2階の四畳半や八畳に、ダンサー、銀天街のおもちゃ屋、毛糸屋、バーのママなどいろんな人が住んでいました」と佐治さんは懐かしんでいる。

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