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No487 流川物語

明治末に中妻三郎が建設
“ビリケン”の真実明らかに

0616o3  とんがり帽子のような展望台を含め4階建ての堂々とした建物が、戦前の流川通りでもひときわ目立った“ビリケン”。織田作之助の小説などにたびたび登場し、今だに語り継がれる流川通りの代名詞的存在だが、いつだれが建てたのか、この連載でもその疑問を解明しようとし、杵築出身の中妻三郎氏が開いた雑貨店「中妻三郎商店」がこの4階建てだったらしいと推定したが、古い裁判所の図面=別府大学附属博物館(アーカイブズセンター)所蔵「大分区裁判所別府出張所図面綴込帳」=で事実が明らかになった。
 この史料は第13冊となっており、明治44年1月から大正2年12月までの間に提出された住宅や旅館などの簡単な見取り図約500件が綴り込まれている。建築申請か、又は建築後の登記の書類と思われる。
0626o1  このうち、中妻三郎氏が提出した図面は「別府町大字別府字南町下参百四拾番(340番)」、「木造瓦葺四階建」と住所も高さも“ビリケン”の建物と合致する。提出日は「明治四拾五年壱月拾日(明治45年1月10日)」となっていて、この前後に建設されたと考えてよさそうだ。
  ◇  ◇  ◇  
 ビリケンは現在のマルショク流川店の東側入口あたりにあり、洋食店、カフェ、ダンスホールなどがあった。経営者の高木氏は幸運を呼ぶアメリカ生まれの神様、ビリケン像を店の前に置いていた。
0626o2  ただ高木氏は大正初期に「ビリ軒」の屋号で洋食店を開いたが、最初は流川通りのあちこちにいて、最後に“ビリケン”の建物で営業した。大正4年の広告では、まだ店の住所が「マルカ跡」(流川通りから桜町への入口東側一帯)となっていることもすでにこの連載で紹介した。
 中妻三郎氏=昭和28年10月6日没、66歳=について、大正6年「大分県人名辞書」では大正元年に上海から帰国して雑貨店を開いたことを紹介し、その店舗について「店舗壮麗(洋風四階建)、町の一偉観たり」と表現している。

コメント

小野 記者様に感謝感激です。
語り部として、資料を提供していましたが、創始者について、とやかく言う人あり
この度、小野さんの、ご尽力により、疑問を解明していただき、こんな、嬉しいことはありません、心からお礼をもうしあげます。  暫らく、記事がありませんでしたので、案じていましたが、安心しました。
          日出町 中妻 斉吾。

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