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No489 流川物語

道路拡幅で消えた温泉
眼病に特効あった“新湯”

0814o43072  大正初期頃と思われる流川通りの絵葉書から、現在のマルショクあたりの昔の様子を探ってきたが、最後は通行人の背後にわずかに見える名残橋や、正面奥の家並みにあった新湯の話題。
 流川は通りの南側に沿って流れているが、菊家の店の前から斜めに下っている。ここにかかっていたのが名残橋で、現在菊家前には「名残橋」と書かれた古い橋の石柱が設置されている。絵葉書では、すでに川の流れは覆われた状態になっているのか、流れは見て取れない。しかし、名残橋はこのころまで残っていたようだ。
 一方、新湯は今回掲載した明治末の地図でもわかるように、名残橋よりも少し海側のほうにあった。絵葉書では、正面の家並みの中のうちどれかの建物だろうが、特定できない。
  ◇  ◇  ◇  
0814o3  新湯は明治終わり頃の案内書には登場し、大きな浴場ではなかったが眼病に特効があるとされ人気があったようだ。大正時代の流川通りの拡幅工事で姿を消した。
 明治40年『豊後温泉誌』には、「字流川を下って往けば北側に小川屋、若亀(注・若松屋のこと)の二旅館が在る。此二旅館の中間南側に在るのは即ち新湯である。本泉質は重炭酸亜酸化鉄を多く含有して居る。俗間伝称の効能は眼病、胃病、疝癪等である」と解説している。
 大正4年『通俗別府温泉案内』には、「新湯は流川より(注・別府港よりの誤りと思われる)西二丁弱、流川の中央にある町有温泉で、浴場は小さいが眼病に特効があるとの評判で入浴者が多い」とある。
 大正10年3月発行の『最新大別府案内』の温泉紹介に、「又最近迄存在してゐた流川通りの『新湯』は道路拡張のために廃せられ」とあることから、新湯が道路拡幅をきっかけに廃止されたのはその前年9年頃のことと思われる。

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