No825 竹瓦界隈物語
大正5年に平野屋別荘も
田辺博子さん 父と泳いだ北浜海岸の思い出
平野屋旅館は明治37年竹瓦温泉ま裏で開業し、大正5年には海岸沿いに別荘も建てた。
掲載した砂湯の絵葉書は海岸通りもまだ十分にはできていない頃だが、石積みの背後に見える2階建ての戸袋には「旅館」と横書きし「平野屋別荘」と縦書きした看板が2カ所見える。
平野藤三郎が経営し、次男国松が継いだが、その長女田辺博子さん(87)は大正13年に3階建てに建て替えた時、餅まきしたことを記憶しているという。
その後、平野国松は昭和7年6月20日に市会議員に当選し8期も続けることになる(その間、4年間市議会議長もつとめた)が、選挙費用のため両方の旅館を手放したという。田辺さんは「市会議員に出たのは近所の人たちが国ちゃんに出てもらおうと推したため」と話している。
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竹瓦温泉界隈は当時北浜と呼ばれていたが、田辺さんは「海岸通りは金持ちが泊まる大きな旅館が並んでいたが、海岸より上は木賃宿ばかりで、近所の店と共存共栄していた」と子供の頃の北浜の和やかな雰囲気を語っている。
海水浴に砂湯にと賑わっていた北浜の海岸については、「埋め立てたのは腹が立つ」と残念がっている。「お客が1カ月間ほどやってきて泳いで満足していた。海水着は自分持ちだが、浮き輪などを貸す商売があった。体が冷えるから飴湯を売る店も出た。今の湯布院のように活気のある町だった」。また「1歳の頃父の背中で泳いだ。ちょっと大きくなると手にすがって泳いだ。父は暴れん坊将軍だったが、私には甘かった」と父との海水浴の思い出も懐かしんでいる。(続く)
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※平野国松は14代(昭和26年3月7日―28年3月6日)と15代(昭和28年3月6日―30年2月19日)の市議会議長をつとめた。長年消防に関わり、昭和22年から42年まで消防団長をした。
※昭和6年『温泉の別府案内』商工人名録では「平野屋/津田秀八」、昭和10年代の『別府市旅館案内』では「平野屋/津田リン」とすでに経営者が変わっている。


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