« No825 竹瓦界隈物語 | メイン | No827 竹瓦界隈物語 »

No826 竹瓦界隈物語

イリコ製造や酒売り捌きも
石垣の対岳楼で学んだ鶴田萬吉 明治22年創業の鶴萬旅館

1113o15  竹瓦温泉界隈の有名旅館の一つが鶴萬旅館。のちに経営した能都弥七の項ですでに名前が登場したが、もともと創業者鶴田萬吉の名前を縮めて鶴萬となった。
 明治22年創業(大正9年現在『別府旅館能力調査表』)と界隈の旅館の中でもとびきり古く、竹瓦温泉が有名になるより前から別府港のすぐそばだったために、入港した客が利用していたのだろう。
1113o2  明治35年『新選豊後温泉誌』には広告が掲載されており、「入湯御宿/煎子製造販売並ニ酒類売捌所/豊後国別府町海岸北詰/芳泉楼事/鶴田萬吉」とあって、イリコの製造や酒の売りさばきの商売もした。「芳泉楼」という優雅な別名もあったようだ。広告には鶴萬旅館という言葉が出てこないが、古い時代は経営者の名前をそのまま掲げることが多かったようだ。ちなみに『別府旅館能力調査表』によると、鶴萬と別に鶴萬別荘(大正3年創業)もあった(いずれも3階建て)。場所は波止場神社海側だったようだ。
  ◇  ◇  ◇  
1113o2_2  掲載した明治43年の地図では温泉前の縦通り、竹瓦温泉通りの突き当たりに位置している。当時はすぐそばに港が迫っているが、のちにはここに海岸通り(国道10号線)が走ることになる。掲載した絵葉書は海岸通り側から北西に向かって撮影したもの。(続く)
  ◇  ◇  ◇  
 ※幕末、石垣の矢田希一が開設した私塾「対岳楼」に鶴田萬吉も通ったようだ。2003年版『別府市誌』に「塾生は200名にも及び、その中にはのちの別府町長高倉駒太や植木岸太郎、同じく浜脇町長河下四郎、別府町会議員友永平次郎・荒金貫一・小野武夫・鶴田萬吉など、次代を担う若者たちが数多く学んでいた。」とある。
 ※鶴萬旅館とは直接関係ないが、別府小学校を明治25年5月に卒業した日名子寿録氏の回想文(昭和10年発行の北小『創立六十周年記念誌』収録)によると、伝染病が流行して別府港に入港する客が一人一人消毒させられたことがあったという。「今の鶴萬の処と思ひますが、砂地の真中に三尺角位の箱が据って居って其中に入れられ首ばかり出し」と奇妙な消毒風景を子供の頃に見たそうだ。鶴萬旅館あたりがまだ砂地だった時代があったわけだ。

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。

最近の写真

  • 0909o2
  • 0909o15
  • 0909o1k
  • 0908o322
  • 0909o15
  • 0907o2_2
  • 0907o2
  • 0906o2
  • 0904o2
  • 0903o15_2
  • 0903o15
  • 0902o2