No835 竹瓦界隈物語
松屋と坂ノ市から命名
大正9年2月創業 木下歳太郎経営の松坂屋
戦後まで長く営業していたため、竹瓦温泉付近の年配者が今も記憶に留めているのが松坂屋。
大正9年現在『別府旅館能力調査表』によると、大正9年2月13日の創業で、旅館主は木下歳太郎、3階建てで、5部屋・17人のこぢんまりとした宿だった。
掲載したのはこれまでも紹介したことがある大正時代の絵葉書だが、「北浜通」というタイトルで竹瓦温泉東側の横通りを、流川通り側から北に向かって撮影している。
画面右端ぎりぎりに白い旅館の看板があり、宿の名前は読みとれないが「木下歳太郎」という旅館主の名前がわかる。画面右端が松坂屋旅館で、その続きの2階建てが青物市場だった。さらに奥にある旅館の看板がちらっと見えるのが鶴萬旅館。
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木下八重子さん(83)=山の手町=によると、坂ノ市出身の歳太郎が松屋旅館(佐藤友吉)の勧めで旅館を始めたため、松屋の「松」と、坂ノ市の「坂」を合わせて旅館名とした。
あとを継いだのは息子の藤吉で、名前は歳太郎が豊臣秀吉(木下藤吉郎)にちなんで付けたという。
八重子さんの夫泰行さん(故人)は旅館は継がず、別府信用金庫(現在の大分みらい信用金庫)につとめた。
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松坂屋は戦後、裏側(海側)にあった旅館を買い取って海岸通り側に玄関を作った。掲載写真は昭和31年頃で、その玄関の前に木下さん夫婦と、泰行さんの弟純行さん(左)、番頭さん(手前)が写っている。左端に写っているのが伊予屋旅館。(続く)
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※1949年版『大分県商工銘鑑』には「松坂屋旅館/別府市北浜/創大正十年三月/経営者木下藤吉/電一〇〇四番/(級)四(収容)十二人/(浴)普通二/(交通)桟橋より半丁」とあり、創業年が若干ずれている。


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