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No1014 鉄輪物語

大正期に立派な別荘も
辰巳屋旅館 父母の出会いは温研入院から

0722o15  辰巳屋旅館3代目、平川角太郎の妻ヱツは、浜脇の老舗旅館港六(湊六、みなろく)から嫁に来た。非常に教育熱心で、子供たちはいずれも高学歴だった。旅館を継いだ4代目の信勝は慶応大学出身。弟の信義は東北大学を出て、東京理科大学の教授を務めた。
 港六から養子(磯沖銀平)が行っていた関係で、別府町長もした磯沖家とはつながりが深かった。
0722o15_2  信勝の時代と思われるが、掲載した写真のように立派な別荘も建てた。写真の裏書きに「朝日村辰巳屋別荘工事中」とあり、大正8年10月23日の起工で、大正9年8月25日に仮竣工している。撮影は竣工前の大正9年8月1日に行われた。建物は小山田商店裏に戦後も残っていたという。
  ◇  ◇  ◇  
 ところで、信勝の長女恵美子と結婚した5代目の木村一男は、もともとカラフトで三菱系の製紙工場で働いていた。ケガをして別府の温研に入院中、安楽屋に湯治に来ていて知り合った。左足は金具が入っていて曲げられなかったが、ソ連から障害年金が長い間送られ続けてきていたという。字の上手な人で浄瑠璃の本を書いてくれと頼まれたりすることもあった。(続く)
  ◇  ◇  ◇  
 ※辰巳屋の屋号の由来は、辰巳の方角(東南)に玄関があったため。前回3階建ての旅館の絵葉書を掲載したが、各階ごとに建設時期が異なり棟梁が違うため、建て方もバラバラだったという。
 ※大正12年「豊後温泉地旅館名簿」には旅館主「平川信勝」の名前と、「九」と非常に若い数字の電話番号が掲載されている。江戸末期の創業にもかかわらず、開業年月日の欄に「明治二十年十月二日」とあるのが不思議だが、辰巳屋はじめ3軒が全く同じ日付であることから、宿屋の登録の日付だったのではないかと想像される。

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