No1020 鉄輪物語
誤記で歴史が変わった!?
明治28年開設の浴場は新湯のはずが熱の湯に
何度も繰り返すが渋の湯はもともと元湯の位置にあり、現在地には明治28年に建てられた(当時は新湯と呼ばれた)。ところが、いつのまにか、案内書では明治28年に熱の湯が開設されたという、とんでもない誤りが一人歩きするようになったという話を、今回は紹介したい。
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昔の鉄輪の主な温泉施設はむし湯をはじめ、渋の湯、熱の湯、滝湯で、いずれも一遍上人によって造られたとされ、はるか以前から存在していた。
新湯が明治28年にできたことを明記しているのは次の4冊の案内書で、「新湯は去る二十八年中の新築」(明治35年「大分県案内」、同40年「豊後温泉誌」)、「新湯は彼の日清役(※日清戦争のこと)当時即ち明治二十八年の新設」(同41年「鉄輪みやげ」)、「『新湯』は彼の日清役当時、即ち明治二十七八年の新設」(同43年「新撰南豊温泉記」)となっている。
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ところが明治42年「別府温泉誌」では、これを熱の湯のこととし、「○熱ノ湯 は明治二十八年中、海地獄の温泉を引きて新たに開設したる泉場なり」と書いている。(ちなみに新湯についての記述はない)
この「別府温泉誌」をきっかけに、「熱の湯=明治28年開設」の誤った説が流布していくさまを見ると、次の通り。
「熱の湯は、明治二十八年海地獄の熱湯を引いて造ったのである」(大正4年「通俗別府温泉案内」)、「熱の湯=明治二十八年海地獄より温泉を引きて開設したるものなり」(同年「別府温泉」)、「熱の湯―明治二十八年海地獄より温泉を引いて開設したるもの」(同6年「泉都別府温泉案内」)、「熱の湯明治二十八年、海地獄から熱泉を引いて開設」(同13年「最新別府案内」)。
おそらく、「別府温泉誌」は校正ミスだったのだろうが、後の案内書の執筆者から次々と引用されていき、鉄輪の歴史が書き誤られてしまったわけだ。(続く)


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