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No1021 鉄輪物語

明治42年の3温泉施設
明治28年にできた新しい渋の湯滝湯とセットで人気呼ぶ

0730o2  渋の湯はかつては向かい側の元湯(現在はポケットパークに変わっている)の位置にあり、明治28年に現在の場所に新築されたこと(当時は新湯と呼ばれた)。この明治28年という年号が、明治42年「別府温泉誌」の誤記をきっかけに、大正時代の案内書では熱の湯の開設時期と誤り伝えられたこと。滝湯のことが案内書ではあまり紹介されていない意外さ、などを書き連ねてきた。
  ◇  ◇  ◇  
0730o15  あらためて振り返ってみると、おそらく最初の鉄輪の案内書である明治21年「鉄輪蒸窖及両温泉分析並医治効用」ではむし湯に入ったあと、滝湯(七ツ瀑、ななつたき)でのぼせをしずめ、さらに渋の湯(新湯ができる前)、熱の湯の順に入るモデルコースを紹介しているほど、その頃はこの4つが主な温泉施設だった。
0730o15_2  滝湯は今でも渋の湯裏にその痕跡があるが、明治28年の新湯はその滝湯前に建てられた。むし湯も備えられていて、広い浴槽もあったので、きっと人気を呼んだことだろう。新しい渋の湯(新湯)が確固たる地位を占め、それ以前の渋の湯はあまり表に出る存在ではなくなってきたことと想像される。(続く)
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 ※最初は新湯と呼ばれた新しい渋の湯がクローズアップされ、渋の湯というとこの新湯のことを指すようになっていったのは事実。そうすると、時間がたつにつれ新湯という言葉は姿を消すはずなのだが、昭和になってからの温泉案内でも「新湯」という言葉が出てきたり、あるいは出てこなかったりと一貫していない。どうにも整理が難しい。
0730o15_3  ※掲載したのは明治42年「別府温泉繁昌記」掲載の渋の湯(新湯)、熱の湯、滝湯。熱の湯は裏側から見た様子。渋の湯の写真は極めて不鮮明だが、永福寺境内から温泉の屋根を見下ろすように撮影している。
 滝湯の写真で、付属のむし湯の入口は画面やや右側手前にあった。画面上部に太い梁がシルエットで写っているが、手前が渋の湯の湯船だった。

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