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No1136

流川は遊郭街だった!?
明治35年新撰豊後温泉誌を読む伊藤博文が名づけた霊泉館
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 今からおよそ110年前の別府案内書(明治35年「新撰豊後温泉誌」)をひもときながら、当時の様子を探っている。別府町については、現在の流川通りと旧国道の交差点付近を中心に旅館が数十軒あったことを紹介したが、続けて日名子旅館(霊泉館)と紅葉館についても解説している。
 現在はデオデオのある大きなマンションに姿を変えているが、かつては別府を代表する旅館だったのが日名子旅館。
 大正時代に旧国道から山手側に流川通りが延びていったため、流川通り沿いに玄関があったが、明治時代は旧国道側が入口だった。初代総理大臣を務めた伊藤博文(号は春畝=しゅんぽ)が名づけた「霊泉館」という別名があり、また政治小説「雪中梅」を書いたことで知られる末広鉄腸も泊まって漢詩を残したようだ。
 不老泉の西側にあった旅館紅葉館(現在で言うと、高架下のカナンベーカリーの奥あたり)についても、庭の風情や由布・鶴見の眺めなどを誉め称えている。紅葉館は戦後もアパートのような形で残っていたが、この頃からの古い歴史を持っていたわけだ。
 また、流川についての解説では、川の両側に遊郭があったと書いているのは、のちの近代的な町の様子からは想像がつかない。(続く)
  ◇  ◇  ◇  
 以下に原文を記す。
――霊泉館とは日名子旅館の事にして伊藤春畝侯に因て名づけられたり 曾て故末広鉄腸居士が本館に残したる古詩中の美詞あり 『竹窓風冷かにして午睡さめ酒を呼て一酔すれば心陶然林下の流水琴筑とひびき簾外の過雨山色妍なり』
紅葉館は不老町の南隣(※西隣の誤りか)にある倶楽部なり 前庭碧池水を湛へ垂柳松樹花木館を繞って春風秋雨窓前の花に酔ふべく緑野青山朦朧の月に吟ずべく屋後窓を開けば近く由布山の雲雪鶴見嶽の青嵐眼眸を払ふ『池魚夜躍る青蘋の月牧馬朝に嘶く緑竹の風』は取て以て本館に題すべし――
――流川(名残川ともいふ) 市街の中央国道より岐れて別府港頭に達する道路の側に沿ふて一大溝渠通ずるもの即ち流川なり 遊郭概ね川の両側に在り 此地秦淮の風土を模出せしものといふ――

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