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No1747

町の発展導いた波止場
明治4年築造の歴史持つ別府港

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 掲載した1枚は、以前紹介したのと同じく1950年(昭和25)に米国人が撮影したと思われるスライド写真。かつての別府港(現在はゆめタウン)の船だまりを隔てて、さんばしを出航しようとしている汽船、その背景には大きく高崎山が写っている。
 もう1枚はそれとは全く無関係で、国内で入手したスライド写真。もちろん日本人の観光客が港の風景を撮ったものだろう。時期は不明。
 手前には網を干した漁船、画面奥には突堤の上に立つ森永キャラメルの大きな広告塔が見える。
  ◇  ◇  ◇  
 別府港は明治4年に築造された。今、修復のための募金活動が進められている波止場神社には、その由来を記した「別府築港之碑」(松方正義揮毫)が立っている。
 明治期はさんばしがなく、汽船は沖に停泊してはしけで上陸していた。大阪商船のさんばしは大正5年に木造で同9年にコンクリート製固定さんばしが完成した。
 その後の別府の発展について、2003年度版「別府市誌」は「別府は同社の支店が設置されるまでは、へき地の一小温泉場に過ぎず、入湯客も近郷の農漁民を主とし、ほとんどその名も知られていなかったが、同社が桟橋架設や優秀客船就航など別府発展にあらゆる努力を惜しまなかった結果、西日本随一の温泉場としてその名を天下に広め、13年には市制が施行され、繁栄をもたらせるのに大きく貢献したといわれている。」と記している。
  ◇  ◇  ◇  

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 しかし、戦後は別府国際観光港の整備が進められ、関西汽船も昭和41年に第二埠頭に移転し、翌42年7月16日の発着船から営業を始めた。(昭和60年「別府市誌」)

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