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No1757

浜脇高等温泉前で育った野崎さん
実家は老舗の化粧品店
有名だった“野崎のじいさん”

 現在は京町在住で、“スマフル”という鼻笛の普及にも励む野崎眞歓さん(67)=本名正弘=。実家は今はない浜脇高等温泉前の老舗野崎化粧品店(昔は野崎小間物店)。かつて旅館・遊郭が軒を連ねた浜脇で繁盛していた。

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 店に並んでいたのは「くし、髪油、椿油、襟おしろい…」。しかし、昭和33年の売春禁止法施行で花街の灯が消え、化粧品からパンやタバコの販売に変わっていった。
  ◇  ◇  ◇  
 「子供の頃は正月から1年中、朝6時半に店を開けるのが僕の仕事。夜はタバコの銘柄ごとに数の計算もしていました」。
 となりの山口自転車屋との間はアーケードになっていて、入浴客が通っていた。温泉に向かって縁台が置かれ、「ばあさん(ミト)がお茶を出して、憩いの場になっていました」。
  ◇  ◇  ◇  

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 1949年版「大分県商工銘鑑」では、野崎化粧品店の創業を大正元年としていて、店主は野崎玉彦、電話番号は243番となっている。
 電話番号は「ふじさん(富士山)」と読んで、めでたい数字だった。
 祖父玉彦は元海軍軍人の頑固者で人望もあり、「野崎のじいさんといえば、浜脇では知らない人はなかった」。近くの3階建て「新都」に石井組が事務所を構えた時も、「近所に迷惑をかけない」と一筆入れさせたのだという。
  ◇  ◇  ◇  
 ところで、浜脇高等温泉に群れをなしていたハトについて、愉快なエピソードがある。
 野崎さんが高校生の頃にもらってきた、つがいのハトがきっかけだった。
 母がパン屋をしていたので、パンの切れ端が出る。祖父が可愛がってエサをやっていたら、どんどん増えていったが、だれも文句を言う勇気はなかった。旅館の女将が業を煮やし、「フンが樋に詰まって困る」と新聞投書をしたこともあった。

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 平成2年に96歳の長寿で亡くなった時、写真家が撮ってくれた、エサをやっているシーンの写真を遺影に使った。
  ◇  ◇  ◇  
 ※母良子は若い時は浜脇小町と呼ばれ、戦前の観光写真のモデルにもなった。
 ※浜脇高等温泉の取り壊しは26年前の昭和63年秋。石見さん撮影の写真には温泉の入口に「おつかれさま 浜脇高等温泉感謝イベント」「8月7日10時―19時まで」の立て看板が見える。
 ※創業は曾祖父母の浪太郎・ヨネ夫婦の時代だったようだ。

No1756

青山コーヒー舎の足達博義さん
祖父は浜脇の足達医院
伯母はノーベル賞級の学者に嫁ぐ

 長年コーヒーを淹れ続けている、青山コーヒー舎のマスター足達博義さん(79)。

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 「祖父は浜脇で医者をしていました。滝尾で開業していたのですが、現金収入が少ないからと別府に出てきました」。
 小さい頃に抱かれた祖父、足達健哉の思い出は「やさしい、小柄な人でした」。
  ◇  ◇  ◇  
 足達健哉は大正、昭和のいくつもの人名録に登場する。明治7年3月7日生まれで、本籍は大分郡東稙田村大字光吉(大正11年大分郡医師会「医師会要攬」による)。
 おもに昭和12年「日本医籍録」によると、大阪府立医学校に入り、同34年卒業後に府立病院産婦人科勤務、翌年別府の朝見病院一級助手に転任し、39年までつとめた。 朝見病院は初代県立病院長の鳥潟恒吉が明治31年に創設した、当時、県下私立病院中ナンバーワンの総合病院だった。
 朝見病院を辞して、大分郡滝尾村で長年開業したが、その間に滝尾村の村会議員、大分郡会副議長、同郡医師会副会長など多方面で活躍した。
 昭和3年4月に浜脇に移り、最初は現在の浜脇記念病院の通りを挟んで南側、その後旧国道沿いの以前河下医院があった場所で足達医院を営んだ。5男1女がいた。
  ◇  ◇  ◇  

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 足達さんによると、そのうち伯父2人が医者になったが早く亡くなったため、あとつぎはいなかった。「私も母から医者になれと勧められましたが…」。
 また、伯母は大阪大学の黒津という人に嫁いだ。「おやじは、ノーベル賞クラスの偉い学者だと話していました」。
 昭和12年の医籍録では、黒津敏行氏は大阪帝国大学医学部解剖学教室の助教授。そののち、医学部長、名誉教授となった。
  ◇  ◇  ◇  
 さて、足達さんの父は兄末っ子。六治(ろくじ)という名前には、「6人で産みおさめ」という意味が込められていたそうだ。
 「祖父から、六治、おまえは医者にならなかったから、薬屋になれと言われ、当時は製薬の学校が大阪にあって、そこに1年行きました。戦争が激しくなると、軍の依頼で兵隊のための浴剤を製造。大分工廠の機械の油を落とす洗剤も作りました。戦後は家庭用の浴剤や、サッカリンとズルチンを混ぜた甘味料を作ったりしました。資金がなかったので、母と2人で胃腸薬(ロクジン)や風邪薬を作り、薬局回りをしていました」という。

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 ちなみに、足達さんは「高校生の時から自分でコーヒーを淹れて飲んでいました」というから、筋金入りだ。

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