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No1758

海門寺での開校から140年
明治7年に産声“別府小学校”

 今年の12月で、別府小学校(のちの北小学校)が明治7年(1874)12月1日に海門寺で産声を上げてから、丸140年を迎えた。

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 北小が60周年記念式典を開いたのは、昭和9年(1934)のこの日で、それから数えても丸80年の時が経ったことになる。
 式典の翌年に発行された、別府市立北小学校同窓会「創立六十周年記念誌」には、卒業生(明治17年4月卒)でのちに別府町長(大正7年6月―同10年6月)をした武田綾太郎氏による同窓生代表の「祝詞」が掲載されている。
  ◇  ◇  ◇  
 ――私の別府小学校に入学致しましたのは最初の海門寺学校でありました。その後、教室狭隘のため現在港町竹屋旅館東側元一覧所であった空家を借り受け、教室に充て、私共はその家に移ったのであります。その後同家は不便利であり、かつ生徒数増加に伴い松原加藤清正公神社、あるいは八幡神社御幸所、または原区真光寺等に分教場を設けるという有様でありました。爾来ますます生徒数増加するに至り当時の当局者並びに有志間に校舎新築の議起こり、幾多困難を経てついに地を北町に相し(現別府駅敷地)新築をなすことに決し、ただちに起工、明治十五年一月竣工したのであります。私共はこの新築校舎に移転したのであります。(読みやすくするため、カタカナを平仮名に変えたり、句読点を補うなど少し手を加えています)――

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 竹屋旅館は流川通りの塩月堂の向かい側あたりなので、その海側に物産一覧所という施設があったと思われる。松原の加藤清正公神社とは住吉神社、八幡神社御幸所は松原公園内にあった朝見神社の御旅所のことと思われる。また原区の真光寺は今の流川通り12丁目あたり。
 海門寺で始まったものの、児童数がどんどん増えて、あちこちに分教場が設けられ、やっと明治15年(1882)1月に北町(場所は駅前高等温泉あたり)に新築校舎ができたというわけだ。
 このあと、別府駅開業に伴い、明治44年に当時海門寺浜と呼ばれていた現在のコスモピアあたりに移転した。
 なお、北小学校と呼ばれるようになったのは、明治39年に別府町と浜脇町が合併してから。

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