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No1761

井手野さん所蔵写真より
野口温泉落成式も撮影

 野口温泉が昭和7年(1932)11月28日に落成した時の記念写真も、井手野純也さんの手元にある。

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 鉄輪の海地獄に写真館を構えていながら、父井手野昇吉郎が野口まで出張撮影したのは、野口元町の井手野家(井手野商店)との親戚関係からだったと思われる。
 同商店によると、古い祖父母の結婚写真にも井手野写真館の名前があり、つながりを示しているが、はっきりした関係はわからないそうだ。
 なお、この落成式の写真は2年前、竹の内の今井温泉そばにある加藤家の話題の際に、安部巌氏の写真集「ふるさとの想い出写真集明治大正昭和別府」から紹介させていただいた。加藤家には温泉建設のために40円を寄付した領収証が、今も残っている。今回撮影者が明らかになったことから、あらためて掲載した。
  ◇  ◇  ◇  
 ところで、昔の野口温泉は皮膚病にきくと評判だった。
 昭和13年(1938)の「大別府温泉観光鳥瞰図」裏面の野口温泉の解説には、「白湯野口温泉〔野口〕含炭単純泉で皮膚病専門の霊湯と云はれます。料金二銭です。」とある。

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 戦後の昭和27年(1952)「科学的な地獄めぐり」裏面の、「別府温泉療養地図」では、野口温泉(別府野口白湯)は皮膚病(花柳病を含む)にきく温泉に分類されている。
 安部氏の「別府温泉湯治場大事典」では、「南立石村の白湯温泉を引湯していたため、皮膚病に対して医療効果があり、入浴客があとをたたなかったという。」と解説している。

No1760

井手野さん所蔵写真より
映画ロケの有馬稲子

 海地獄内に写真館をかまえていただけに、ロケ風景を脇からパチリと撮影したのだろう。

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 主演は高橋貞二と有馬稲子。映画は昭和34年(1959)公開の松竹映画「危険旅行」(中村登監督)。
 映画のあらすじはこうだ。有馬扮する売れっ子作家はマスコミにももてはやされ、多忙な日々を送っていたが、ある日嫌気がさして行方をくらましてしまった。
 高橋は雑誌に写真を提供するカメラマン役。2人は旅先で偶然一緒になり、霊柩車でヒッチハイクしたり、宿を求めて酔っ払ったふりをして留置所で一夜を明かすなど珍道中を繰り広げる。
 別府でのシーンは、地獄のほかに、さんばし、浜町にあった別府警察署、そしてなぜロケ地に選ばれたのか不思議な気もするが、現在のロープウエイ近くで加藤清正像のある旗の台。
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 井手野写真館の撮影ではないが、ロケの時に宿泊した「ホテル赤銅御殿」の写真の中に、有馬や高橋が写ったものがある。掲載したのは、同ホテルの玄関前でレンズに顔を向ける有馬で、さすがに美しい。ホテルの従業員がさんばしのシーンでエキストラをつとめたのだそうだ。

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No1759

井手野さん所蔵写真より
横山写真館と砂湯

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 本紙元旦号では、シンガポールで英国人技師から写真術を学び、海地獄で写真館を営んでいた井手野昇吉郎を取り上げ、長男井手野純也さん(福岡市)が所蔵する、大正12年に来別した久邇宮良子女王(香淳皇后)、地獄見物に訪れた犬養毅や後藤新平といった政治家など、貴重な写真を掲載させていただいたが、引き続き、別府の歴史を物語る写真数点を紹介したい。今回の2枚は、紙プリントではなく、ガラス乾板の形で残されていたもの。
明治からの
横山写真館

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 流川通り3丁目の肉のいろは付近にあったのが横山写真館で、歴史は古い。掲載した広告(明治42年「別府温泉誌」より)には、「豊後国別府温泉場名残川通り三丁目北へ入ル 横山写真館写真部」と所在地を記している。ちなみに、名残川通りとは、流川通りのこと。
 掲載したのは、大正時代の写真。写真館のウインドウには、三脚やカメラ、さまざまな写真が展示されている。画面左端の電柱に写真館の看板がある。
賑わっていた
海岸天然砂湯

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 現在の竹瓦温泉から東の方向、国道10号線の海側あたりにあったのが天然の海岸砂湯で、今はない。温かい砂で全身を覆われ、気持ちよさそうに笑顔を見せる砂湯客の表情が印象的。

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