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No1762

砂湯写真師のマッサン
大正10年発展期の別府へ

 かつて別府名物だった北浜海岸の天然砂湯。そこで専属写真師をしていたのが、マッサンこと増田熊太郎(1890―1953)だった。

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 香川県高松市の生まれで、若い時から写真機に親しみ、いわば趣味の写真を仕事にした人。
 初めは大阪に出て、大正期に福岡市へ。別府へ移り住んだのは、隣りの大分市で九州沖縄八県連合共進会という盛大な博覧会が開催され、別府も大いに賑わっていた1921年(大正10年)。
 この年は今の鉄輪線にあたる温泉回遊道路が開通し、地獄めぐりも盛んになった。流川通りも拡幅整備された頃で、別府は大発展の真っ最中だった。
 別府では松原公園と遊郭街で賑わった浜脇を結ぶ、住吉町通りの新町橋そばに最初の店を構え、そのあと公園東側に移り、額縁、ブロマイド、本などを売った。店は妻の巴が切り盛りした。(続く)
  ◇  ◇  ◇  
 ※掲載した1枚は砂湯の入湯客と写る増田熊太郎。子孫によると「ハイカラな人だった。早くから写真をしていたこともそうだが、ビリヤードをしたり、着こなしもおしゃれだった」という。

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 ※掲載したもう1枚は女優の高峰秀子。増田は砂湯以外に、成天閣、港屋旅館、清風荘といった旅館に出入りしていた。その旅館での1枚とのようだ。掲載した写真は2枚とも昭和10年代と思われる。

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