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No1765

浜脇の石田さん
大分の町なか育ち
夜は家族で竹町をぶらり

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 かつての駅裏の再開発など、現在大きく変貌しつつある大分市中心部。さらに70年前の空襲で焼け野原になる前、古い家並みが残っていた時代を知っているのが石田梧郎さん(85)=別府市浜脇1丁目=。
 石田さんはツーリズム浜脇まちづくり推進協議会の初代会長として、まちづくりに尽力したことで知られるが、実は昭和5年に大分市茶屋町(現在の都町2丁目6)で生まれて育った。
 ※今回は別府のお隣り、大分市中心部の昔のことを取り上げさせていただきます。
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 大分幼稚園(現大分市役所の向かい側あたり)、荷揚町小学校を経て、旧制大分中学(現大分上野丘高校)3年の時に、予科練に入り終戦を迎えた。

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 荷揚町小は千人以上も児童がいた。「府内藩の藩校の跡で、誇らしかった。今でも学校のどこに何があったか、全部記憶しています」。
 学校裏には武徳殿があり、向かって左側が剣道場、右側が柔道場。小学校3年の時から剣道の稽古に通った。
  ◇  ◇  ◇  
 茶屋町は今の都町の北のはずれで、通学路には大分検番があり、三味線を練習する音も聞こえ、風流な雰囲気が漂っていた。
 かつての竹町は人通りが多く、夜も明々としていた。家族で夕食後に竹町をぶらぶら散策する“竹ブラ”をすることもあり、一丸デパート、園田布団店、菊川家具店、映画館のニュース館などが記憶に残っている。一丸デパートはエレベーターがあり、屋上は子供の遊び道具があった。

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 ただ、戦局が厳しくなるとそんな竹町にも品物がなくなっていった。一丸デパートも弾薬倉庫に変わっていったのだそうだ。(続く)
  ◇  ◇  ◇  
 ※99年から10年間にわたって浜脇1丁目1区自治委員、市自治委員会の副会長や浜脇地区支部長、ツーリズム浜脇まちづくり推進協議会の初代会長など、地域の活動に尽力した。ツーリズム浜脇では「作るのに7年かかりました」と振り返る。

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