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No1766

浜脇の石田さん
父は耳鼻咽喉科医
消えた大分市茶屋町

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 戦災に遭わなかった別府と違い、海軍航空廠があった大分市は米軍の標的にされ繰り返し空襲を受けて焼け野原になった。
 石田梧郎さん(85)が生まれた大分市茶屋町(現在は都町)も焼け、今ではビルが建ち並んで通りすら残っていない。
 近所で昔のままなのは勧業銀行(現在のみずほ銀行大分支店)くらいで、「勧業銀行前はもっと広くて遊んでいた。車もほとんど通らなかった」。
 茶屋町やその周辺の町並みについて、「江戸時代の建物がたくさん残っていた。長屋がいくつもあった」と懐かしんでいる。

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 柚子練りの老舗古後や、堀川饅頭の店もあった。山水という料亭は特攻隊員が多く利用した。菊水という料亭の場所は、以前は倉庫だった。
  ◇  ◇  ◇  
 石田さん(旧姓松成)の父松成晋一は耳鼻咽喉科の医師。明治12年(1879)元旦に生まれ、昭和34年(1959)9月に没した。
 香々地(現在は豊後高田市)の旧家の出身で、旧制中津中学、岡山医専で学び、その後は岡山、山口、東京などで修練を積み、明治42年(1909)大分市で開業したが、最初は中柳町という所だった。
 茶屋町に移ったのは大正6年(1917)か7年頃らしいが、そこは江戸時代の両替商が住んだ、部屋数が23もある大きな屋敷だった。
 屋敷を購入するについては、現在の杵築市山香町にあった馬上(ばじょう)金山の主で、日出町に建てた別荘(的山荘)でも知られる成清博愛(なりきよ・ひろえ)が紹介してくれた。石田さんによると、県立病院で治療したことから懇意にしていたという。(続く)
  ◇  ◇  ◇  

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 ※掲載した現在の都町2丁目あたりの写真で、画面中央のビルのうちお(内尾)歯科は戦前もあり、裏手が松成耳鼻咽喉科だった。画面奥がかつて前で遊んだ勧業銀行(現在はみずほ銀行)。
 ※掲載した戦前の松成耳鼻咽喉科の写真で、医院は通りの東側だった。北から南に向けて撮影されている。
 ※掲載した大分県人名辞書の記事には、容貌について「眉目清秀」とあり、「ハンサムでした」と石田さん。さらに「夫人よね子は橋本寛吉氏(萩原銀行頭取)の女、妹芳子旧筑後柳川藩主立花伯の分家立花高木氏に嫁す。」と、松成医師の妻米子(よねこ)が萩原銀行頭取橋本寛吉の娘であることや、妹芳子が柳川藩主の分家に嫁いだことも記されている。

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