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No1772

戦後いち早く喫茶店開業銀座裏の
「北平」北京引揚のハイカラ夫婦

 戦後の喫茶店ブームの先駆けの1つが、銀座裏の「北平(ほくへい)」。

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 北京から引き揚げてきた、羽田守久・ムツのハイカラ夫婦が終戦翌年の昭和21年に始めた。
 北平(ベイピン)は北京の旧称。夫婦は戦時中、中国・北京で暮らし、羽田は領事館に職を得て働き、妻ムツはタイピストをしていた。好きだった町の名前を店に付けた。
 喫茶店の前は、闇市でまんじゅうの商売をした。イモ餡のまんじゅうは飛ぶように売れ、働き過ぎて病気になるほど忙しかった。
  ◇  ◇  ◇  
 店は夫の名義だったが、ムツが切り盛りした。

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 掲載した写真は昭和25、26年頃の店内の様子。若い頃友人に誘われ足繁く通った、溝部展男さん(86)=上野口町=がセルフタイマーを使って撮影した。

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 「コーヒーが好きだったのでよく行った。電蓄(レコードプレーヤー)があったので音楽を聞くのも楽しみだった」。
 テーブル席が4つほどで、広い店ではなかった。若い女性従業員が2人ほどいた。ムツと親しく口をきいたことはないが、「上品な奥さんでした」。
 壁に掛けられた絵、スタンドの照明、窓のカーテンなど、写真からは落ち着いた店の雰囲気がうかがえる。カウンターを写したもう1枚には、ショートケーキを収めたガラスケース、向かって左端にはコーヒーカップの受け皿が重ねられ、スプーンを立てた筒が置かれているのも見える。
  ◇  ◇  ◇  
 夫婦の長女、松本菜保子さん(65)=市内中島町=によると、コーヒーはネルで淹れていた。紅茶、ココア、ミルクセーキのほか、ホットケーキやプリンも出していた。ソフトクリームの機械を入れたのも、「別府でも最初だったのではないだろうか」という。

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 住まいは、店からほど近い新宮通り沿いで、現在の石松寿司やグリルみつばあたりの裏手。店に行くことはめったになかったが、小学2年生頃いち早くテレビが入った時は、相撲を見に行った。西鉄ライオンズの稲尾和久投手をモデルにした映画「鉄腕投手稲尾物語」(昭和34年撮影・公開)のロケ時には、スタッフが店に来たのを覚えている。
 電蓄について、「母はジャズやクラシックがとても好きだった」と話している。

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 一家が新別府に引っ越す昭和35年頃までに、店を手放した。「だんだんお客さんも少なくなっていた。黒字のうちにやめたいと思っていたようです」。(続く)
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 ※1949年版「大分県商工銘鑑」には「北平/別府市梅園町六九九/純喫茶/創昭和二十一年七月/経営者羽田守久/電一五二七番/銀東京銀行」とある。
 ※観光雑誌「湯けむり」昭和28年5月号の記事「喫茶街彷徨記」では次のように紹介されている。
 ――銀座裏の「北平」は「白十字」と共に戦後逸早く開業した組で良心的なものを飲ませる。――

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