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No1773

戦前は京都で映画助監督
銀座裏の「北平」
夫守久は印刷会社経営

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 銀座裏で喫茶「北平」を経営した羽田守久・ムツ夫婦。妻ムツ(旧姓岩尾)は、大正8年別府生まれで、北小(昭和6年3月卒)、別府高女(同10年3月卒、15回生)の出身。梅園町で旅館を経営し、戦後4期市会議員を務めた岩尾新一の長女。少女時代はピアニストにあこがれた、音楽好きの女性だった。
 夫守久は明治41年、福岡県の折尾出身。10代で家を飛び出して上京。日本大学芸術学部の前身に入学し、働きながら学んだが中退。京都の撮影所に入った。
  ◇  ◇  ◇  
 助監督をつとめた作品に、現在非常に評価が高いオペレッタ時代劇「鴛鴦(おしどり)歌合戦」(マキノ正博監督、京都日活撮影所製作、昭和14年12月14日公開)がある。女性に大モテの男前の浪人が主人公(片岡千恵蔵)。腕前もめっぽう強く、隣の傘職人の窮地を救いその娘と結ばれてハッピーエンド。他愛ないストーリーだが、軽快なタッチがどこかフランス映画を感じさせる。
 この映画に出た俳優・歌手のディック・ミネは、戦後別府を訪れた時に会いに来ている。「鞍馬天狗」の映画で知られる時代劇スター嵐寛寿郎とツーショットの写真も持っていた。後年、テレビで出演者やスタッフの名前が出てくると「こいつ、知っている」と話していた。

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 守久とムツはいとこの間柄。熱烈なラブレターを送って口説いた。撮影所をやめて結婚し、中国に渡った。
 平和な時代であれば映画の仕事を続け、監督になったかもしれない。時局は厳しくなり、自由に映画を作れる時代ではなくなっていった。
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 戦後、引き揚げて来た別府でムツが喫茶店を切り盛りする一方、守久は野口の線路際で印刷会社「不二印刷」を経営した。活字好きだったので、古書店をするか印刷会社をするか迷ったらしい。
 掲載した写真は、大ヒット曲「月の法善寺横丁」(昭和35年)で知られる演歌歌手、藤島桓夫(ふじしまたけお)が印刷会社を訪ねてきた時の記念撮影。この時、守久はプロモーター的な役割で、送り迎えなどをしたようだ。

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 印刷会社の経営は、駅前通り(現在の近鉄跡地)に中村百貨店が開店(昭和34年4月)した頃は、包装紙の注文を受けるなどして順調だったが、のちに倒産。その後は若草町で細々と印刷の仕事を続けた。
 早くから自動車を持ち、遠くまでドライブするなど、当時としてはハイカラな生活ぶりだった。守久は昭和48年、ムツは平成15年に他界した。(続く)
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 ※1959年「別府市商工名鑑」には「株式会社不二印刷/(代表者)羽田守久/(所在地)大和区/(電話)417」とある。

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