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No1774

梅園町にあった岩尾旅館
温泉開設にも一役
明治末に移り住んで開業

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 戦後いち早く開業した喫茶「北平」の羽田ムツの実家は、梅園町の旅館だった。
 西法寺の山門から海に向かって路地を下っていくと、梅園温泉がある。今では静かな路地だが、昔は人通りが多かったようだ。この界隈(一丁南の竹瓦温泉に下る通り沿いや、北側の新宮通り沿いも)が梅園町。
 別の土地で代々神職の家柄だった祖父岩尾久美衛が明治の終わり頃、別府へ移り住んで旅館を始めたらしい。旅館名簿には明治43年創業とあり、翌44年の別府駅開業で発展が見込まれる梅園町に目を付けたものと思われる。
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 掲載したのは、岩尾久美衛が顧客に差し出した大正3年元旦の年賀状。「本年も相変わらずご愛顧の上、ご投宿ご入浴あらんことを伏して懇願たてまつりそうろう」と丁寧な言葉で新年のあいさつを述べており、差し出し人の欄は「豊後速見郡別府梅園町/入湯旅館/岩尾久美衛/(電話四一七番)」とある。
 ちなみに、この時期に電話を引いている旅館は多くはなく、格式のある宿だったことがわかる。大正6年頃、梅園町の旅館12軒のうち、電話を持っているのは山陽館(三四一番)と岩尾旅館だけだった=大正6年「泉都別府温泉案内」の旅館一覧より=。
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 梅園温泉の開設にも一役買ったようだ。
 大正元年、温泉ができた時と思われる登記書類は、岩尾を含め9人の共同名義になっている。梅園町の発展には温泉が欠かせないと旅館主や商店主らが、お金を出し合って建てたことと思われる。
 この書類で、岩尾の住所は「大字別府六百九十七番地寄留」となっている。「697番地」は梅園温泉から少し上った通りの右手あたりだが、同じ番地が新宮通りの北側まで広い範囲にまたがっていて、当時の岩尾旅館がどこだったのかいまひとつ確定できない。なお「寄留」とは、まだ本籍を別府に移していなかったことを意味しているのだろう。
  ◇  ◇  ◇  
 久美衛の息子新一の名前は、大正9年の旅館名簿に登場する。昭和5年12月からは1期、旅館組合の代議員もつとめている。

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 戦後は市会議員(4期=昭和22、26、30、34年)を務めた。昭和39年頃の資料では、梅園町で旅館東洋(元町5番9号)と旅館梅の井(北浜一丁目4番33号)を経営していた。
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 ※大正9年現在の旅館名簿「別府旅館能力調査表」には「(開業年月日)明治四十三年十月十一日/(家号)岩尾/(電話番号)四一七/(旅館主氏名)岩尾新一/梅園町/二階建/木賃/(内湯数)二/(女中数)四」とある。客室は「(八畳)五/(六畳)九/(客室総数)一四/(畳総数)九四、〇/(収容定員数)四九」で、小さな旅館ではなかったようだ。
 ※梅園温泉の登記書類は大正元年10月1日付けで、共同名義の9人は「野口正人、藤沢安太郎、末定七、岩尾久美衛、田仲慶太郎、後藤七五三、二宮代八郎、上尾乕夫、荒金幸吉」となっている。=「大分区裁判所別府出張所図面綴込帳」・別府大学附属図書館(アーカイブズセンター)所蔵より=。
 ※梅園温泉について、大正4年の案内書「通俗別府温泉案内」には、「梅園温泉は別府港より西四丁別府駅へ約四丁字梅園町に在る、此浴場は梅園町の旅館や商店が、地方発展の為め共同して建設した温泉である、之も開放してあるから誰れでも自由に入浴が出来る、此周囲にも沢山の旅館がある。」とあり、大正2年9月5日付けの温泉分析書(鉱泉分析成績書)も掲載している。

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