No1775
住宅地図生みの親 島末昌春
昭和26年千代町の光進堂で印刷
「住宅地図の生みの親は父です」と話すのは、島末昌春(しますえ・まさはる、正確には嶌末)の長男良雄さん(67)=市内在住=。
手元には2冊の「別府市住宅案内図」(昭和26年、29年)をはじめ、大分市(27年、29年)、熊本市(32年)、小倉市(28年)、戸畑市(29年)、門司市(30年、31年)、若松・戸畑市(32年)と戦後まもない頃の住宅案内図10冊が保存されている。いずれも編集兼発行人は島末昌春、発行所は住宅詳細案内図刊行会となっている。
29年の別府市分だけ「島末鎌造(昌春事)」と書かれているのは、画数がよくないからと縁起をかついで、この時期だけ使っていた名前。
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最も早い昭和26年の「別府市住宅案内図」では、発行所の所在地と電話番号は「別府市羽衣町一一一二番地」「電話七五三番」で、印刷所の光進堂印刷株式会社と同じ。地図上では「刊行会」は印刷会社北隣りに記載されているが、印刷会社内に間借りをしていたのではないかと推測される。
現在の千代町12番で、大分みらい信用金庫南支店そばの「とらや」駐車場の位置。ここが「住宅案内図」の発祥の地だったようだ。
この案内図に描かれているのは市内中心部(境川以南)9ページと亀川1ページの10ページのみで、まだ全市をカバーできておらず、地域によっては横向きに描かれているなど、草創期らしい試行錯誤の跡がうかがえる。(続く)
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