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2016年1月 8日 (金)

理研の森田教授

 理化学研究所(埼玉県和光市)の仁科加速器研究センターの森田浩介グループディレクター(九州大教授)を中心とする研究グループが発見した「原子番号113」の元素について、12月31日、科学者の国際機関が新元素であると認定、発見者として命名権が与えられた。県立別府鶴見丘高校から九州大を卒業した森田さんは1984(昭和59)年に理研研究員になり、新元素発見の使命を与えられ30年余。04(平成16)年7月、05年4月、12年8月の3回、新元素の合成に成功し、認定まで4年を要した。

亜鉛とビスマス
秒速3万㌔衝突

01073

 新たに発見が報告された元素を新元素として認めるがどうかは、国際純正・応用化学連合(IUPAC)と国際純粋・応用物理学連合(IUPAP)が推薦する委員で組織する合同作業部会「JWP」が審議した。
 九大理学部を卒業した森田さんは84年、理研で新元素発見の研究をスタート。「80年代のうちに見つけるぞ」と意気込んだが、加速器の実験で発生する様々な物質の中から、新元素をより分けて検出するのは、とてつもなく難しい。検出装置の開発に試行錯誤を重ねた。
 03年から、本格的な実験ができるようになった。元素の種類は、原子の中心の原子核を構成する陽子の数で決まり、陽子数が原子番号になる。
 重イオン加速器施設で、原子番号30の亜鉛を秒速3万㌔に加速、原子番号83のビスマスに衝突させる、3回とも同じ方法で113番元素の合成に成功した。
 新元素の合成を証明するには、その元素が崩壊した後、既知の原子核に到達することが重要。森田グループは、合計6回の連続したアルファ崩壊によってボーリウム、ドブニウム、ローレンシウム、メンデレビウムの既知の原子核に到達したことを観測。これによって、新元素認定で重要視される「既知の同位体への崩壊」に疑う余地がない、と確認された。

アジア初の
名付け親
 これまで、元素発見は欧米が独占してきた。113番元素についても、理研と、ロシアと米国の研究機関が、互いに「自分が先」と主張した。113は平均0・002秒で別の元素に壊れ、さらに別の元素に壊れていく。露米のチームは「117や115を合成し、壊れて113ができた」と主張。森田チームは113そのものの作製に3回成功し、どう壊れていくか先の道筋まで詳細に示した。
 自然界の元素が発見し尽くされると、新元素の発見は人工的に作製する研究競争にはいった。高性能の加速器を持つ米、露、独、日本が中心になっているが、原子番号が大きくなっていくほど、作製は困難を増す。
 森田教授は「1回の合成だけではだめで、何回か同じ結果を出すことで信頼性を増す。113番は、3度目の正直で命名権が認められた。元素周期表にアジアで初めて、日本人が名付け親になる」と喜びを語る。では、113番はどのような働きをするのか。「今回は存在することが分った。その性質を知るのはまだ先のこと」だそうだ。
 平成20年に妻美栄子さんが病気で他界した。「結果が出せなかったとき『あなたならできる』と励ましてくれたから、今がある」と振り返る。
 まだ58歳。「また次の元素発見の研究・実験を始めます」と挑戦を続ける。

物理恩師の導き
忘れ得ぬ青春
 森田教授は、父親の転勤の関係で、中部中学2年の途中から鶴見丘高校を卒業するまでの4年半を別府で暮らした。特に鶴高の思い出は深く、安達輝久教諭のもとで物理を勉強したことが、その後の科学者人生につながった、と青春時代を振り返り「今回もお祝いのメールをいただいた」と恩師に感謝する。
 安達氏は73歳で別府市荘園に在住。教員を退職後、県教委スクールカウンセラーとして今も週1回、鶴高に。「森田君は物理の授業で一番前の席に座る熱心さで、実験が好きでした。優秀だったけど、まさか新元素を発見するとは、当時は想像もつかなかった。偶然に発見できるものじゃなく、知識と技術がいる。長年の研究が実を結んだ。よく頑張った」と祝福した。

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