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2016年6月24日 (金)

油屋熊八、明治30年の渡米事情

 別府史談会(友永植会長)の外山健一副会長(80)=馬場町=はこのほど、油屋熊八翁の渡米旅券発行調査するため、東京都港区麻布台「外務省外交史料館」を訪れた。その結果、旅券発行が確認された。

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 外山氏は、以前から油屋翁が無一文で渡米した通説を疑問に思っていた。そのため、上京し明治30年の旅券発行台帳を閲覧し、油屋翁の名前を確認した。記載内容は、次のとおり。
 ▽旅券発行番号=103624▽氏名=油屋熊八▽会社所在=大阪府大阪市東速北浜3丁目204番地▽身分=東京府北豊島郡日暮里村元谷中東村1134番地里正(りせい)▽渡米先=桑港(サンフランシスコ)▽目的=商業視察▽発行日=明治30年9月21日。
 今回の調査で、油屋翁は無一文で渡米したという通説は誤りで、旅券申請時には居住していた東京日暮里の油屋御殿もあり、しかも身分は里正(村長)であった。行先は米国の桑港(サンフランシスコ)で、渡航目的は商業視察であることが判明した。当時、渡航には約2カ月かかっていたため、無一文で行ったとは考えにくいという。
 また、皿洗いのアルバイトをしながら米国の各都市を見分したといわれていることも疑問であるという。
 外山氏は「今回の調査で、油屋熊八の実像に一歩せまることができて、たいへん愉快だった」と話した。
 油屋翁は文久3(1864)年7月16日、宇和島の米穀商の長男として出生。家業のかたわら明治23年4月、宇和島町議会議員を務める。25年、大阪の時事新聞社の経済記者となる。このとき、株取引のノウハウを学び、のちに大阪市北浜3丁目に米の株取引会社を立ち上げた。米相場で現在の金額に換算すると約60億円の富を得て、油屋将軍と呼ばれるようになる。しかし、米相場の株価が暴落し大損をした。
 30年に米国サンフランシスコに渡り、33年に帰国。44年、来別し、亀の井旅館を創業。昭和3年1月、油屋翁65歳のときに日本初の少女車掌によるバスガイドを始める。10年3月24日、満72歳で波瀾万丈の人生を閉じた。

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