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2016年11月30日 (水)

別府女学院開学70周年記念の講演会

 別府大学の前身である別府女学院(別府女専)の開学70周年記念講演会が27日午後1時、別府大学32号館5階500番教室で開催され、市民、学校関係者、学生らが参加した。

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 佐藤瑠威別府大学学長があいさつし、講演会が始まった。
 第1部の講演を、山本晴樹別大文学部教授が講師を務め、「建学の精神VERITAS LIBERAT(真理はわれらを自由にする)の70年」をテーマに行った。
 はじめに、別府大学の歩みを説明。別府女学院は昭和21年に開学、文部省の管轄となった翌22年に別府女子専門学校となった。24年に新制大学の申請をしたが、学科や教員数の問題で却下された。同年に日田・太平女学院が廃校となったため、別府女子専門学校と合併し、25年に別府女子大学となった。29年、男女共学化し名称が現在の別府大学になった。
 「佐藤義詮氏のご子息である佐藤瑠威学長の調査によると、国立国会図書館の標語になっている。また、フライブルク大学図書館の壁には新約聖書ヨハネの福音書より『真理は汝らを自由にするであろう』と刻まれている」と説明した。
 第2部の記念講演は、講師に京都外国語大学外国語学部のシルヴィオ・ヴィータ教授を招き、「マリオ・マレガ神父の大分―戦前・戦中・戦後―」をテーマに行った。
 「マレガ神父は、戦前に司祭として大分カトリック教会の中心人物だった。日本文化を研究しキリシタン時代の跡をたどっており、地元の社会と交流していた」と語った。
 昭和6年12月に大分に移住したとみられており、翌7年1月に「新たな人生」が始まったと同月24日付の書簡に記している。また当時は、大分から別府に行くのに立ち入り許可証が必要で、行くたびに申請しなければいけなかったという。
 「昭和22年、アメリカを経由してイタリアに一時帰国。23年、大分に来て、24年に別府女子専門学校の教師となった。それを示す謝金の領収書が、バチカン図書館の文書のなかで見つかっている。25年に東京に異動となり、大分に戻る機会を忍耐強く待ち続けた。そして、臼杵に異動となった」と述べた。
 別府から送った昭和47年8月17日付の最後の手紙には、神父の情緒的な視点から見た別府を「自分のいるところは、まるで妖精(ようせい)の家のようだ。そして、蛙の鳴き声が聞こえる」と自然豊かな様子を書いているという。
 第1部、第2部の終了時、質疑応答があり、参加者からの質問にそれぞれの講師が答えた。

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