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2017年7月15日 (土)

日本人としての矜持

  親父が先月10日に92歳の天寿を全うした。
 
 亡くなる2~3カ月前から、ほとんど食をとらずガリガリ。入院をすすすめ、食事が取れるようになるまで「我慢」と伝えた。入院前日まで両切りのピースを家人の目を盗んでは吸い続けた。
 大正13年11月、今の北朝鮮平壌に生まれ、理数系に強く、工業系の学校を卒業後は、日系企業に就職。現地召集で旧陸軍の師団司令部の通信兵。このあと大邱に移り、武装解除され終戦。母と弟2人を連れて復員。着の身着のまま、長崎、佐賀で新聞記者。朝鮮戦争開戦を伝える「玄界灘の波高し」を船上から打電、大スクープとした。一家は別府に移り、昭和29年にこの新聞(今日新聞)を立ち上げた。
 当時の人達は皆、このように同じような苦労を味わい背負いながら、今を生き続けている。生きることに「必死」だった。生きる事に綺麗ごとは許されぬという雰囲気もあった。親父は常々「荒っぽい新聞だがウソはない。新聞記者も人の子だから間違いもあるがウソはない。」―と口にした。そんな今日新聞は草創期から「愛郷一貫」を社是に掲げ、2年前に創刊60周年、今年の5月には紙齢2万号をそれぞれ迎えた。
 親父の出生は広島県尾道市。「愛郷」を掲げるのはおこがましい感もあるが、愛郷を「愛国」と置き換えればこれも納得できよう。
 1億の日本人が敗戦の苦労から立ち上がり、世界第3位の経済大国を形成した。その底力とは一体なんだったのか。苦難に打ちひしがれる事なく、前を向き、歩を進めるという精神力の拡大再生の気概ではなかったか。苦あればこそ次に生まれるであろう楽と幸を信念とする「不撓不屈」の想いがあったのではなかったか。またそれを実現しつづけて来た。そしてそれは今の日本人に出来るか?……。
 出来る!。程度の差こそあれ、阪神淡路、東日本大震災や異常気象で何度も被害を受けた。掛け替えのない肉親を失った人々はそれでも逞しく、復旧復興を志す。被災あるごとに国内外、全国各地から義援や支援、ボランティアが集まる。他人事ではないとする思いが終結する。こんな国は他にはないだろう。
 先の大戦を生き抜き、大往生を遂げた人々への慰霊の一つとして「どんなことがあっても日本は行き続ける」という思いを、今に生きる我々は共有したい。来月は72回目の終戦記念日を迎える。お盆と終戦が同じ日というのも何かありがたい。(陽)

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