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2018年1月 1日 (月)

平成30年 年頭随想

 平成30年の初春を迎えられ今日新聞社社員一同心よりお慶び申し上げます。昨年は九州北部地区豪雨、台風18号被害など、観光別府の経済を直撃する未曾有の災害続きでありました。

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 新年恒例の年頭随想は、先の衆議院選挙の争点にもなりました、我が国の安全保障(北朝鮮のミサイル問題)、憲法改定など避けて通れぬ課題へのアプローチとして、「今こそ日本を見直そう」を念頭にまとめてみました。
 我が家の26歳になる娘は、「日本は戦争中、酷い事をしたの?どんな酷い事?なぜ中国や韓国、北朝鮮は日本に冷たいの?従軍慰安婦の像はいつまで続くの……」彼女は、韓国、中国、インド、フィリピンの同年代の女性達とユニットを組んでアメリカはロスアンゼルスでアーティストとして活動しておりました。エンターテイメント世界では、今我々が受け止めている、国対国のイメージとは完全に異なった環境で、利益共有を図り、未来永劫消え失せる事の無い、友情を築き上げています。
 我々はこの若い世代に過去の過ちは素直に認めるとともに、我々日本人がアジアに果たして来た、貢献についても触れ、総合的に判断する材料を、提供しなければならないと痛感しているところであります。学校教育課程では学ぶ事のなかった戦時の側面、日本の世界貢献について歴史的事実を積み重ねてみたいと取り上げてみました。

反日運動の現状を憂う

 どこまでも「反日」、「嫌日」の道を歩み続ける韓国における日本のいわゆる「悪事」について。
 1910(明治43)年から45(昭和20)年までの約35年間、時の李氏朝鮮を吸収して「日韓併合」が成立しました。李氏朝鮮は1392年から約5百年もの間、国家システムすべては「明」や「清」の属国。両班(ヤンバン)と呼ばれる貴族階級を除いて国民は李朝の忠実なる臣民であり、私有財産は一切認められませんでした。李氏朝鮮の歴史は「奴隷民族」と表現され韓国の歴史家の著述も数多くあります。この様な状況で大陸進出を想定する日本にとって、朝鮮の国情は絶妙な状況下にあった事は間違いありません。
 日本が韓国を併合した理由は▽南下する帝政ロシアの権益拡大主義に対する脅威▽アジアにおける欧米列強の植民地の拡大▽朝鮮の独立と近代化―――が掲げられます。その本質は朝鮮人民が併合を希求したもの。朝鮮の独立は「日清戦争」1894~95年の日本勝利により、清の属国から解放され、国名を「大韓帝国」に改めた時。朝鮮王高宗は皇帝に格上げされ、5百年に及ぶ中国の属国状態から解放されました。日本は朝鮮を同等の権利を有する国家として併合。日韓両国の合意だけでなく、欧米列強10カ国に対し併合宣言を発し、その承認を受けています。
 「日韓併合」により朝鮮半島はどのように生まれ変わったか。
 具体的には▽階級制度を廃止し苦役服従を払拭▽公平な裁判。公職者、権力者への賄賂を廃止▽私有財産が認められ、職業選択、居住の自由、経済秩序が確立▽都市、交通インフラ等の整備。農工業の近代化▽教育、衛生、医療制度の近代化―――以上の社会構造の変革は日本がもたらしました。戦後は日本が一方的に韓国を搾取し、韓国人を苦しめて来たたのように喧伝されました。かつては多くの韓国人の中には歴史的な現場に立ち会った人達がおり、昨今の反日環境を嘆く声も伝わって来ています。

国家再生の礎は国民教育

 朝鮮総督初代は伊藤博文。伊藤は着任以前から李氏朝鮮の実体を把握しており、併合には最後まで慎重な姿勢を維持しつづけました。民族活動家の安重根によってハルピンにて暗殺。志半ばで倒れた。朝鮮総督府はまず国民教育をもって体制改革に。奴隷国と貶まれた人々に自尊心を。新生大韓帝国民の意識の改革は、明治維新を生きた伊藤ら旧勤皇の志士にとってはお手のものだったに違いありません。
 まず伊藤は韓国統治の資金を円借款として予算の一割を教育振興に当てました。百校程度の公立学校が、最終的に5213校に。日本国外初の帝国大学を京城に開設。日本語の普及に加えハングル語教育も半島全域に普及拡大。
 創氏改名で「皇民化政策」を取ったと伝えられていますが、本質は民族の要望に従ったもの。それ以前は氏姓が無く戸籍も作れなかった状況。1940(昭和15)年2月から8月まで6カ月限定で創氏改名の届け出を受け、全体の約8割が届け出た。当時の朝鮮版朝日新聞は届け出制限の通達を出していたほど。また国内政治を見ても各地方議員は8割が朝鮮民族。公務員は日本人比率が0・2%。この実態を見ても従軍慰安婦の強制連行など適うハズもありません。

北の脅威を助長する「反日」主義

 統治下の経済環境を見ると、収支は飛躍的に伸び、貿易は50倍、鉄道、国道は25倍に拡大。首都の漢域では1910年、約150社あった工場が30年後には約7千社に。韓国人口は1160万から2512万人に。当然、都市機能も充実、日本の国家予算から、半島につぎ込まれる予算は年々拡大を続けました。国内にない規模の投下予算で近代化が急ピッチに進みました。これも終戦を境に。
 戦後は握った手を返して、途々に「反日」の気運が拡大。親日主義を自己批判するかのようにナショナリズムの波が、次々と津波のように拡大されています。国家の近代化を担った日本が憎くてたまらない。「坊主憎けりゃ――」の例えではありませんが、最近の韓国では従軍慰安婦問題の「再生」によって、日本統治下で親日的な行動のあった人々を「親日反民族行為者」として指定、子孫にも累が及んでいます。朝鮮戦争で闘神の如く、命がけで祖国防衛の任に就いた、金錫源、李應俊らは現代韓国国軍の礎を築いた将軍。日本の陸軍士官学校に留学、日本陸軍の士官に任官。大東亜戦争に参戦したばかりに「親日」とされ、不名誉な濡れ衣を着せられています。
 北が38度線を越え、「ソウルを火の海にするぞ」と平気で威圧するその真理の奥には、最も善隣で結ばれなくてはならないハズの日本と、この様な状態が続いている韓国の国情にもあるようです。
 それでは東南アジア諸国における日本統治について触れてみます。

アジア諸国における日本の貢献

 【台湾】=下関条約によって清国から割譲。50年間日本が統治しました。風土病やアヘン吸引がまん延しており、まず衛生環境の改善につとめました。歴代総督の中には日露戦争当時、日本勝利に活躍した駐仏日本大使館付武官の明石元二郎ら大物クラスが着任。水力、水利事業の拡大、教育普及、台北帝大の開設。武士道を中心とした「日本精神」が国民生活の根幹となりました。第8代台湾総統で日本に留学経験のある李登輝が親日政治家として戦後復興につとめています。
 【中国】=1912(大正元)年、孫文によって樹立、欧米列強の不平等条約に苦しめられていました。日本の登場によって租界の返還と不平等条約の撤廃を獲得したました。当時中国は南京国民政府と、米英ソが支援する重慶国民政府と2つに分かれ、日本は日華事変で南京を攻略。新政府への人材育成を行い、中国国民百年の悲願だった欧米支配からの脱却に貢献しています。
 【マレーシア】=1941(昭和16)年12月8日真珠湾攻撃と同じ日、山下奉文中将率いる第25軍がコタバルに上陸。開戦から2カ月でイギリス領の拠点シンガポールを陥落。圧政に苦しむマレーを開放しました。イギリス統治時代はイギリス人を頂点に、次いで華僑、インド人、最下層はマレー人という階級制度。日本軍政下でマレー人の教育、政党政治の設立、イスラム信仰の容認、日本への留学制度―――などが実施され、独立による新生国家誕生となりました。第4代首相のマハティールが日本賞賛の歴史書を執筆しています。
 【シンガポール】=イギリスのアジアにおける最大の軍事拠点だったシンガポール。イギリス支配を打ち破り「昭南島」と改名。国民に生産技術を付与する昭南興亜訓練所を開設。このあと工業学校、師範学校、医科大学などを開設、アジアにおける一大教育拠点としました。1965(昭和40)年、マレーシアから独立して今日に至る。リー・クアンユー初代首相は英国に刃向かうことなど不可能と信じていました。日本が英国と戦い、白人神話をうち砕いてくれたと談話を発表。
 【インドネシア】=1941(昭和16)年、オランダ領インドネシアに進駐。340年にわたるオランダの圧政から解放。オランダは、強制労働、愚民政策、重税課徴によって独立心を抑制。インドネシアの国情に精通した軍政官、今村均が人材教育を基調に、3年半の軍政期間に10万人を教育。時折り日本政府の占領方針を拒否したり、独立気運を高め、祖国防衛義勇軍創設の礎を築いています。現在2億5千万人の人口を有しGDPは世界16位。日本国軍による軍政によってもたらされた結果でした。初代大統領スカルノはその自伝で8月17日に独立宣言ができたのは、日本軍政下でその準備が充分に進められてきたからと、ふり返っています。
 【ブルネイ】=長期にわたりオランダ、イギリスの統治下にありました。1942(昭和17)年から3年間、日本の軍政下に。ブルネイ県知事として木村強(陸軍司政官=文官)が着任、イスラム国として尊重。当時のタジュディン国王の実弟を秘書官として採用。天然ゴムに着目して工場を建設、雇用を創出。道路、電気、通信などのインフラを整備。日本の貢献については同国中学校教科書で詳細に記述。当時の木村知事の秘書官をつとめたサイフデインは国王に就任。戦後20年ぶり木村をブルネイに招請、ブルネイ永住を請願したほど。
 【フィリピン】=親米派が多く、アメリカからの独立直前に日本が進駐。それまでスペイン、アメリカの植民地。1942(昭和17)年1月に日本が無血入城、治安は一気に回復。翌年5月に東條英機首相が訪問。同年10月には独立を承認。アメリカによって破壊されたマニラ――レガスピ間の鉄道を1年3カ月で全線開通、インフラの復旧に貢献しました。治安維持のための司法組織の再構築に尽力しています。
 【パラオ】=太平洋ミクロネシアの島国。国際連盟から委任を受けた日本が1919(大正8)年から25年間統治した、旧ドイツの植民地。日本統治期は近代的な都市建設が進められました。日本から約2万人が移住。敗戦後はアメリカの信託統治領、1986(昭和61)年に「天皇陛下御在位60周年」の奉祝式典がパラオのコロール島で開催。
 「日本は親愛なる国。良好な関係を次の世代に伝えていく責任がある」と、第4代大統領クニオ・ナカムラ氏は日系3世に当ります。
 【ベトナム・ラオス・カンボジア】=旧フランス領。フランスのヴィッシー政権とドイツは友好関係にあったため、日本軍は仏印と軍事協定を結び、1940(昭和15)年に進駐。重慶国民政府を支援する「援蒋ルート」遮断が目的。軍政による介入はなく、45(昭和20)年独立を承認しましたが、植民地支配を画策するフランスとの間で第1次インドシナ戦争が勃発。ラオス・カンボジアは1953(昭和28)年に独立。ベトナムは1976(昭和51)年に南北統一を迎えました。
 【ビルマ】=日本軍政は1年と少し。ビルマ独立の原動力となった「ビルマ独立義勇軍」の創設を支援。国土の主要交通機関全長415キロの「泰緬鉄道」を1年3カ月で竣工。独立をめざす若者の中から60人を選び日本の陸軍士官学校に入学させています。――
 このように日本は、東南アジア諸国の国家的インフラ整備を進める一方、前途有意な若者達をそれぞれの目的によって南方特別留学制度や士官学校留学などの支援をつづけ、物心問わず多くの支援、貢献を行いつづけました。

軍政は明治維新のDNA

 日本の軍政が国内よりむしろ外地(諸外国)に評価されるのはなぜか?大日本帝国陸海軍の発生の根源をひもとけば分かるのでは。「日本軍」という国家組織は明治維新を契機に誕生。「尊皇倒幕」を主張する薩長土肥に代表される諸藩は、藩主や重臣よりもむしろ下級の士族が主役。諸藩重役は江戸幕府に対する「忖度」重視で改革に乗れません。比較的恩恵の薄いハングリー精神を備え、シガラミの無い下級士族が思う存分の行動力で維新敢行。彼らの意識は能力優先、実力第一が基調。論議より破壊的、爆発的な行動が評価。また下士は特権階級がもたらす不平等に対し繊細に反応。加えて技術革新に敏感に対応。
 軍のシステムは海軍はイギリスに、陸軍はドイツ(プロシア)に学び、欧米の近代化組織の導入を次々と敢行しつづけました。維新政府の代表の多くはヨーロッパ留学の経験者。帝国を築くために京の貴族の代表だった天皇を、「衣冠束帯」の世界から、金モール、ダブルブレストの軍装に「改装」して皇帝へ。エンペラーの誕生。軍装兵器の類はイギリス、フランス、ドイツの輸入品だったが、瞬時に改造をくり返し、いつの間にか「メード イン ジャパン」の武器装備へと変更しています。
 日清、日露の戦勝で湧き起こった「国威」は、物質的にも精神的にも維新から伝わった先取性と、それを成し遂げた人材は言わば、恩恵薄い下層階級出身者の気概によるもの。
 軍政として東亜諸国進出となれば、明治から伝わる「国威」即ち国家の「名誉」がそれに加わる。軍政をもとにアジア解放を謳歌した「大東亜共栄圏」の構築は基本的に欧米列強からさげすまれ、搾取された弱者を救済する目的をもって支えられました。勢い内地に存在する施設や設備より、より高度なものを……、恵まれぬアジアの同胞に「より素晴らしい近代化の波を」という共通のスローガンがこれに華を添えたようです。明治維新のDNAで「進化」した日本の外地統治(軍政)と、欧米列強の植民地政策との相違点は、当事国に対する人材教育に。オランダは徹底した愚民政策、イギリスは一部特権階級や華僑のみを優遇、フランスは専ら自国経済の向上のみに。日本は義務教育制度の施行を基本に、行政、軍事、司法の各人材を育成、輩出しつづけました。

日本式教育を輸出

 江戸から明治と移る大革命は、基本的に国民の「平等意識」にあります。江戸期より藩校、寺子屋で行われた学習の基本路線は「四書五経」を中心とした儒教。この儒教も発生の地である、中国のそれとは趣を異にした日本流儀が主体科目。中国、朝鮮の儒教は偽政者が国を統治し易い統制国家型であり、科拳(国家公務員)登用試験のための必須科目。日本のそれは、江戸期より「和」を中心とした優和親睦論が主体。儒教も日本に入れば各学派が誕生し、政治経済はじめ、実学として国内の充実を図る国家形成の要諦としての存在に生まれ変わっています。建国の礎は国民教育にありました。
 近代化欧米化を急ぐ新政府にあって、新生日本の国民教育基本路線は明治天皇の発布した「教育勅語」。明治大帝は近代諸国の技術や国家体制について先取の精神をもってこれに対応。しかし、大陸渡来の東洋の哲学である儒教を破棄することはありませんでした。皇室学問の侍講に「教育勅語」の草案を作らせ、これを発布。これが源流となって「農業に関する勅語」や「軍人勅諭」などが次々と発布されました。
 日本の植民地政策は東亜諸国民の教育改革から。
 アジアはなぜ欧州先進国の搾取に晒されつづけたか。中国、朝鮮など一部特権階級による国家の私物化は国民の無知無学からなるもの。当時朝鮮人民の文盲率は9割といいます。「植民地」各国に義務制となる小学校、国民学校、加えて専門学校、高等学校をはじめ、台湾には台北帝国大学、朝鮮には京城帝国大学。教授陣は内地の東京帝大をはじめ日本の頭脳を輸出して「五族協和」の基軸の一環としました。更に国家独立支援を目的に陸軍士官学校の予科も開設され、日本の陸士留学制度を設け、国軍創設の気運を醸成しています。

欧米アジア指導者達の日本評価

 このように東亜諸国で活躍した軍政を担当した者、多くの日本兵は、現地で多大の評価を得て日本統治を完結しました。彼らの精神的支柱は、国家の名誉であり天皇の軍隊とする自負に他なりません。戦後15年、当時欧米東亜で指導者的存在だったリーダーの声を集めてみました。

 ▽アーノルド・トインビー(英国・歴史家)「第2次大戦、日本人は日本のためというより、大東亜共栄圏など戦争によって利益を得た国々のために偉大な歴史を残した」

 ▽ジョイス・レプラ(米国・コロラド大教授)「東南アジア全域の独立運動に決定的な意味を持っていた。西洋の植民地支配の復活と決別したことを、イギリス、オランダは戦後になって思い知った」

 ▽サンティン・アムステルダム市長(オランダ元閣僚)「本当に悪いのは侵略して権力を振っていた西欧人。日本は戦勝国の全てを東亜から追放した。日本の功績は偉大である。自分をさげすむことなく、その誇りを取り戻すべきだ」

 ▽ククリット・プラモード(タイ元首相)「日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが生まれた子ども(東亜諸国)はすくすくと育っている。東亜諸国がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは『身を殺して仁を成した』日本というお母さんのおかげだ」「我々は12月8日と8月15日を忘れてはならない」

 ▽ガザリー・シャフィー(マレーシア元外務大臣)「日本はどんな悪い事をしたというのか。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、イギリスを屈服させた。このことが独立の足ががりとなった」

 ▽アラムシャ(インドネシア元第3副首相)「インドネシアは350年間にわたり、幾度かオランダと屍山血河の闘争を試みたが圧倒破滅された。日本軍の到来で苛酷な状態を打破、感謝感激したのは当然だ」

 ▽ラグ・クリシュナン(元インド大統領)「イギリスの戦艦を沈めるなど想像も出来なかったが、日本が見事に撃沈した。この快挙で東洋人もやれるという気持ちが起きた」

 ▽I・R・ジャヤワルダナ(元スリランカ大統領)「当時のアジアで日本だけが強力かつ自由だった。諸国は日本を守護者かつ有邦として仰ぎ見た。祖国開放を希望して日本を支援した」

 ▽バノ・モウ(ミャンマー元首相)「日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。また日本ほど誤解を受けている国はない」「開戦当時の志を忘れず大東亜精神を貫いていれば、いかなる軍事的敗北があろうとも、アジア大部分から信頼と感謝を日本から奪い去ることはできないであろう」

 ▽ゴー・チョフトン(シンガポール元首相)「日本の諸戦勝利により欧米のアジア支配は粉砕された。日本の敗戦から15年以内にアジアの植民地はすべて独立。自分たちも欧米人に負けないという自信を持った」

 最後に、敗戦直後、戦勝国によって一方的に裁かれた極東軍事裁判判決を受け入れ、贖罪の歴史を積み重ねられた先人に、心より敬意の誠を捧げたいと思います。そして今を生きる我々は堂々と、日本の「正義」を各国に呼びかけなければなりません。志半ばで斃れた英霊をはじめアジアの発展に命と魂をかけた人々の存在を忘れることなく、歩みつづける事を新年に掲げていきたいと思います。
 御愛読者皆様方におかれましては、この一年が「平成」最後の年となりそうな気配りであります。健やかで味わい深い一年でありますよう、小社社員一同心より祈念申し上げ、この拙文の締めくくりとさせて頂きます。
 今年も何卒宜しくお願い申し上げます。

平成30年元旦


今日新聞社      
社長 檀上 陽一

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